映画『ぼくの名前はズッキーニ』で描かれる子どものやわらかな感性
ストップモーション・アニメと言えば、『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』や『チェブラーシカ』、『ひつじのショーン』などが有名で、子どもはもちろん大人のファンも多いだろう。
2月10日から公開される『ぼくの名前はズッキーニ』は、そんな名作に並ぶ秀作で、子どもはもとより、大人にぜひ観てもらいたい作品だ。カラフルで手仕事感あふれる人形たち、そこから生み出される繊細な感情や人間描写。現代の子どもをありありと描いたストーリーに、誰もが心を動かされるだろう。
主人公は、フランスに暮らす9歳の少年イカール。父親が恋人をつくり家出してからは母親と二人暮らしだ。母親はビールを飲んでばかりだが、酔っ払って不慮の事故で死んでしまう。イカールは、母がつけた愛称“ズッキーニ”と、母親の形見になったビールの空き缶を大切にして、孤児院「フォンテーヌ園」へと連れて行かれる。
園のクラスメイトは5人、リーダー格のシモン、アメッド、ジュジュブ、ベアトリス、アリスだ。入ってすぐにいたずらの洗礼を受け、ホームシックになるズッキーニだが、クラスメイトはみんな複雑な事情から孤児院にやって来た子だ。
シモンは親がドラック中毒者で、アメッドは親が犯罪者、ジュジュブは親が精神病、ベアトリスは親が強制退去になり、アリスは父親から虐待を受けていたなど、それぞれが悲しい過去や現実と共に生きている。ズッキーニは少しずつ仲間と打ち解け、お互いを優しく気づかい、運命共同体のような信頼関係を築いていく。
そこに新しい入園者カミーユがやって来る。ズッキーニはカミーユにひとめ惚れし、なぜ施設に来たのか理由を知ろうと、カミーユの書類を見てしまう。カミーユは両親を悲惨な事件で亡くして園に来たのだった。
カミーユとズッキーニは意気投合し、一番の親友になる。スキー合宿では、ダンスパーティに雪合戦、夜は合宿所を抜け出し美しい月夜の下でデートをした。合宿の帰り、バスで眠ったカミーユのほほに、ズッキーニはこっそりキスをするのだった。
ある日、カミーユの叔母が園に突然現れ、扶養手当を目的にカミーユを引き取ると言い出す。悲しんで猛反対するカミーユに、「絶対行かせない!」と誓ったズッキーニは、カミーユ脱出作戦を企てるのだった。カミーユの行方は、そして作戦はどうなるのか。
物語の始めから終わりまで一貫して感じるのは、フランスらしいとも言えるメランコリックな世界観。静寂と音楽、光と影、パペットのニュアンスカラーとビビッドカラーが対照的に描かれることで、作品をあざやかに彩り、躍動感のある生き生きとしたドラマを映し出している。
スクリーンでぜひチェックして欲しいのが、丁寧に作り込まれた人形やセット。人形に使われている素材はラテックスやシリコン、樹脂や布などで、全部で54体もの人形が作られた。目や鼻、口などのパーツも十数個用意され、表情によって使い分けている。髪の毛から指先、ディテールのどこを見てもあたたかみのある仕事に愛を感じられずにいられない。撮影だけで8カ月以上、編集やCGなどを含めるとのべ2年をかけて作られた、その根気と熱意にも頭が下がる。
観終わった後は、ズッキーニをはじめ子どもたちみんなが可愛く、わが子のような存在になっているから不思議。「みんな幸せになって欲しい!」と心から願い、胸が張り裂けそうになる。とりわけ惹かれるキャラクターがシモン。いたずらばかりするリーダー的存在だが、ズッキーニを認め、カミーユ救出作戦でも一番良い動きをして成功に導く。いじわるな一面もあるけれど、誰よりも愛情が深く仲間思いのシモンのファンになる人も多いはずだ。
アルコールやドラッグ中毒、貧困、移民、虐待、育児放棄、養子など、さまざまな社会問題を投影している点も興味深い。悲しみや辛い経験をした子どもたちは自分で居場所を見つけ、お互いが支え合うようになる。そして愛のある大人と出会い、助けられることで人生が切り開かれていく。
「子どもは宝」「かけがえのないもの」と言うけれど、日々の生活に追われ、それを忘れている人も多いはず。毎日のかけ足を少し止めて、『ぼくの名前はズッキーニ』を観る。そして子どものかわいさ、愛らしさを確かめるのも大切なのかもしれない。
忘れてはいけないのは、我が子だけでなく、世界の子どもたちも同じように愛すべきということ。それだけで社会や制度、ニュースの見方も変わり、違った意識が芽生えてくるような気がする。