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MilK JAPON magazine No37 「Imagine」issue release !
ギフトシーズンの下見にいかが?〈ヴァン クリーフ&アーペル〉日本橋三越本店ブティック、リフレッシュオープン
10 こんにちわとさようならのあいだ

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10 こんにちわとさようならのあいだ

グラフィックデザイナーの長嶋りかこさんが、妊娠して日々変化する体から、今まで見えなかったことに日々出会い、新陳代謝していく景色を綴るエッセイ。 なんだかんだであと数日で出てくる。そう思うとちょっと寂しくなるくらいのこの一体感とはあと少しでさようならで、未知のこんにちはがやって来る。 妊娠後期はこんなに腰がガタガタになると思わなかったし、こんなにホルモンで関節がリウマチみたいに痛くなると思わなかったし、こんなに骨盤はミシミシ変化し恥骨がパキパキ痛むと思わなかったし、妊娠9-10ヶ月目はいつもイテテと言いながらそろーりそろり歩く、不快度指数高めの体調。これから妻が双子を産むんですという人からは妻のそれより大きいと言われるくらい、腹がデカくなっていく。ゆえに色んな人達と仕事で会うたびにみんながお腹を見て“おおお〜”と笑ってくれるのだけど、それが妙に嬉しかったのはなんでだろう。立会い現場では“いま一番立ち会いたい腹ナンバーワン”と言われ(ありがとう)、仕事仲間の写真家たちは物珍しそうに写真を撮ってくれ(宝物です)、ほとんどの仕事では見兼ねてスケジュールの前倒しに都度協力してくれ(助かりました)、そしてうちのスタッフのみんなは毎日私のノソノソ歩きと体調をフォローしてくれ(感謝しかない)、なんか、産んでからの仕事のペースがどうなるか未知であっても、なんとかいけそうな気がするのは、こうやって仕事仲間がこの腹の成長とそれによってスムーズに行くことも行かない事も含め、変化を間近で見守ってくれているからかもしれない。 いまはもう出産間近なせいかだいぶマシになったけど、こないだまでお子の動きで、お腹がぐわんぐわん右に左に形を変え、子宮を押され、膀胱をいじられ、胃袋を押すので、とても痛くて即立ち止まり硬直すること多々。いつも突然くるアグレッシブな動きに思わずイッテェと声が漏れ、時にはあまりの痛みに無言で涙を流しながらウミガメのように耐えていたりした、まだ何も産んでないのに。この胎動も人それぞれで、そんなに動かないし痛くもない人もいるらしいけど、私も妊娠中期の頃は“元気だねえ”なんて微笑ましく動きを愛しむみたいな感じだったのに、後期は痛みのあまり“頼むからまじで早く出てきてくれ”と頼みこむような有り様。 8ヶ月頃までゆっくりと描いてきたこの子の成長曲線は、9ヶ月から10ヶ月の1ヶ月ちょいで一気にプラス約1キロくらいになると聞き、そんなのありえないでしょと思うくらいお腹は十分にパッツパツ、且つヘソはもう伸び切ったために皮膚のバッファーは無く、見た目的にも皮膚的にも体力的にも限界を感じるこの腹にとって、そんな1キロ増って、、と遠い目になりつつも、体重計にのると着々と見たことのない領域に突入していて、ありえるんだなと唖然。出すぎたお腹により屈んで靴が履けなくて、それでもよいせと屈んだらバランスを崩してゴロンと後ろに倒れ仰向けになった時は、ひとり天井を見ながらふと“お相撲さんって毎日どうしてるんだろう”と尊敬した。 そして兎に角ねむい。夜中の胎動が激し過ぎて夜は眠れなく、日中はよくウトウトしており、たまに事務所のソファに横になっている。あーいまこの出っ張りは足だなここは頭だな、などとお腹の子とやりとりしながらウトウトしていると、そのうち小さな手が私のお腹の皮を伸ばしてニュッと現れ、私の手を探して触るようになり、おぉこんにちわとお互いににぎにぎ握手をしたりして嬉しかったのだけど、そしたらこんどは頭がニュッと顔がわかるくらいにお腹の皮を伸ばして出てきて、おぉすごいねと突き出た頭を抱っこしつつ、しかしこの状態ってもしや側から見たらけっこうエグいのかもと思い、スタッフみんなに気持ち悪がられないように先手を打って「みてみておもしろ〜い こんなに出てきたわ〜 ね〜すごいね〜」と朗らかに状況を紹介する、という夢を見た。ある日はいつもの検診で採血した自分の血が元気過ぎて、シャーレの中でぐわんぐわん踊っていたり、ある日は陣痛の痛みって油で揚げたら半分になるらしいと陣痛を油で揚げてみたり、ある日はすでに出産を終えてにこやかにしている私がいて「その未来にワープってできないんだっけ」とどうにか出産を跳び越える相談を未来の私にしているなど、兎に角、よく夢を見ていた。 ある日はどんなに眠くてもしんどくても体は動かして体力つけないとなと、いつもの帰路を遠回りして公園をぐるーり散歩を散歩。獣道のような長い石階段にさしかかったので気合いを入れつつも、重い足どりの一歩目の足元を見たら、わたしはゴツイ石でできた下駄を履いていた。そりゃ足が重いはずだわと妙に納得してゴチンゴチンゆっくり大きな音を立てながら薄暗い急勾配の階段を這いつくばりながら歩き、中盤にさしかかってふと横をみると、そこは実家の裏山の墓地だった。薄暗くなった獣道に広がっていた墓地に一瞬驚いたけど、鬱蒼とした墓地の土の中の沢山の“死”と、お腹の中にあるぽつんとした“生”との間には、無数の長い長い鎖が横たわっており、私はその鎖の一点を腹に抱えながら生と死の「間」がありありと目の前にあることに、感慨深さを覚えすっかり立ち停まっていた。するとむこうから人が来て、這いつくばった妊婦にビクッと驚く。その人は全盲のようで、彼は同じく足もとの悪さに悪戦苦闘してここまで来たらしく、私達はお互いの状況に、ここまで歩くの大変でしたよねと、ねぎらいあった、という夢。休日のベットの上だった。 休日を何もせずにただただ休んでいる、ということをしたのはかなり久しぶりで、良い時間だった。体を動かすといちいちどこかしら痛いから、何もしたくないしどこにも行きたくなくて、ただ横になっていたかった日々が続いたのだけど、しかしそんな休日も悪くなく、ベッドで夫と猫とお腹の子と私でゴロゴロしている時、みんなが私をとりかこむように寝転んでいるこの時間を、幸せだなあとふと思ったのだった。同時に、何でもなくて何にもないこの時間を、幸せだとちゃんと思ったことを、覚えておこうとも。同じようなことを昔、実家の縁側で思った。田植えの時期だったか手伝いで帰省した私は、まだ痴呆もそこまで酷くなく体も自分でなんとか動かせる状態だった祖父と祖母と私の3人で、畳の上に寝転がり日向ぼっこをしていた。大好きな祖父と祖母と一緒にのんびり過ごす時間はすごく幸せだったと同時に、ふとこの時間を、こうして一緒に過ごせる最後かもしれないから、この匂いや陽だまりや3人のここにある空気をちゃんと覚えておこうとも思った。だから祖父も祖母が死んだ今でも、あの時間をちゃんと鮮明に思い出す事ができる。 ゴーギャンの絵画にあるような、私たちはどこから来てどこにゆくのか、というような問いはスケールが大きすぎるけど、でももしもいつか子どもがそのような問いを私に向けて来たら、少なくとも確実に“ここ”から来たよということだけは、はっきりと言える。別の答えもあると思うけど、少なくともあなたの命は確実にここで芽生え、ここで育っていき、ここで意識を持ち始めたことを、私は身をもって知っている。私もそうだったし、祖父も祖母もかつてそうだったし、みんなの“ここ”から来て、そして土に還っていったよ。 生とともにある死。死とともにある生。これから出会うこんにちはには、さようならが表裏一体となっている。光のもとに落ちている影。たくさんの“あのとき”からずっと続いている今。それらを全て纏いながら、わたしはそろそろ出産を迎える。胎動はだいぶおちつき、今度は前駆陣痛とやらにうなされている毎晩。変化は毎日少しづつやってくる。また知らなかった景色が、もうすぐやってくるのだな。   

2018.10.10
おしゃれ間仕切り「DRAW A LINE」で写真が映える空間をクリエイトした家
OCTOBER / ツルウメモドキ
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〈DIESEL KID〉2018FWキャンペーン開催! ノベルティプレゼントも。
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北欧・スウェーデン発! 子ども服のセレクトオンラインショップ〈Babyshop.com〉が日本上陸
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09 中絶について

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09 中絶について

グラフィックデザイナーの長嶋りかこさんが、妊娠して日々変化する体から、今まで見えなかったことに日々出会い、新陳代謝していく景色を綴るエッセイ。 選ばなかった未来、選べなかった未来、拒んだ未来、拒まれた未来について、どうすることもできないし、それらの未来がどうであったのかを知る由はもう無い。自分にできることは、今自分が立っている場所から始まる未来を作ることしかない。 「わが立つ杣(そま)」という言葉がある。 杣とは滑り落ちそうな山の斜面にあるほんの少し平らになった場所のこと。僧侶などが険しい山を登り見つけた束の間の安心できるその小さな場所を、山あり谷ありの人生と重ね、やっと見つけたその場所にご加護がありますようと願い詠まれた歌がある。美術家の篠田桃紅氏は、“長い人生の中で本当の意味で自分の立ちうる場所はそうどこにでもあるわけではない。だからこそ、ようやくその場所を見つけられた時には心から感謝をし、自分の使命を全うするべく努力する”のだと、「わがたつ杣」と書をたしなめ壁に飾っているのだという。たしかに、そばに置いておきたくなる言葉だと心底思った。 私には中絶した過去がある。いまでも摘んだ命を想わない時はなく、ましてやこうして命が育っていく状況を実感するほどに、選べなかった未来に手を合わせる。かつての私は悲しみの中をどうやって生きればいいか分からない日々がずっと続き、誰にも言えず、前を向けず、私が死ねばよかったのかもしれないと気が狂いそうな毎日をひた隠しにしながら過ごしていた。あの頃の記憶は人知れず泣いている自分しか思い出せない。 日本は中絶が多く、累計だと世界で5番目に多い国らしい。1955年の約117万件をピークに減少を続けているものの、それでも現在1年間で約18万件の人工妊娠中絶が行われている。1日で換算すると、約500人。毎日、500人もの女性が、あの経験をしているのだ。それぞれが望んだことだったのか望まれなかったことだったのかを知る由もないけれど、様々な理由があっての重い決断であったのだろうし、特に強姦などの犯罪によるケースにおいては人権侵害にさらされた女性の尊厳は守られるべきと思うし、簡単に一辺倒な中絶の善悪は問えない。もちろん、大前提として、中絶なんてする必要のない男女の環境であるべきだと思うし、あんな悲しい思いは誰にもして欲しくないと願う。 「ヤノマミ」という、ブラジルの原生林に原始的な暮らしを営む部族がいるのをご存知の人もいると思うのだけど、私も友人に勧められ国分拓氏によるヤノマミに関する本を読んだ。彼らには医学はなく主にシャーマンによる祈りがそれにあたり、性はとても動物的ゆえに妊娠出産も野生的だ。女性は10代で妊娠をし、森の中でヤノマミの女性達に取り囲まれながら自分で産む。男性は出産現場にはおらず、狩をする男たちにとって血は闘志を削ぐものだとして一切を目にしない。女性は、男性に知られることなく苦労して自力で産み落とした赤子をどうするかというと、産んだその場で生かすか殺すかを決め、殺すと決めたらすぐに“聖霊返し”という儀式をする。精霊返しをすると決めるその判断の理由は、母自身しか知らない。決めたら産声をあげているその子どもをバナナの葉で包み、シロアリの巣に納め燃やすのだという。かなりざっくり書いたが、国分氏が目の当たりにしたあまりに野ざらしな生死の現場の描写を読み、頭がクラクラする。中絶率の少なさは望まない妊娠率の少なさに呼応し、女性の妊娠コントロールの高さは、「性教育」「避妊」「社会・経済的レベル」の三つが決定的な役割を果たしていると言われているけれど、ヤノマミは完全にその三つが原始的すぎて、あまりに生死と欲望が剥き出しであった。ありありと描写されるそれらに、思わず嗚咽した。しかし文明社会と原始社会、その形はかなり違えど、全く同じ行為が共通してあるではないかと、嗚咽する自分にあらためて冷ややかになる。その事実を受け止めようとすると、人間ってなんなんだろう、命ってなんなんだろう、女ってなんなんだろう、男ってなんなんだろう、私はなんのために生きているんだろう、そんな問いにぶち当たる。脈々と続く命を次に繋げようとする行為の陰で、命を生かさないという選択をとるのもまた人間という生き物なのかと、中絶だけでなく、戦争や犯罪など世のあらゆる場面を思い浮かべては、善悪は宙に浮き、自分を含めた人間を、光と影が存在するように世に存在するものはすべて両義的に存在しているのだと、綺麗事なしに理解する他はない。それは私自身に蓋をせずに、自分を再度理解することでもある。 私は、私の母の体の病状的に中絶した方が良いだろうと医師から告げられていたにも関わらず、母に光を当てられ産んでもらった身だった。だから私の今があることを、身をもって知っている。知っているのに、自分の身に起こり決断せざるおえなかった中絶の過去をもつ私は、選べなかった未来の可能性がいかに尊いものであるかも身をもって知っており、それだけに、私という人間が真っ黒く落ちた影でできているような感覚があり、自分自身に大きな矛盾を孕みながら生きている。私のお腹に芽生えているこの命は、私にとっての微かな光となり日に日に大きくなっていくのだけど、同じくらい影も見えてくる。それはもう、仕方のないこと。 1日に約500人、今日も日本のどこかで命が摘まれ、泣いている女性がいる。相手あってのことなのに、必ずや心身に深い傷を引き受けるのは女性だ。日本だけではなく世界中で、今日もどこかで、悩み、重い決断をし、人知れず涙を流している女性がいる。ヤノマミもそう、森のなかが漆黒の暗闇に包まれた頃、聞こえてくるのは母の泣き声なのだという。 私のお腹の中には男の子がいる。この子が無事生まれ、年頃になったら、いつの日かこの話を、ちゃんとしたいと思う。

2018.10.01
お悩み25:プレゼントがうまく選べません。
〈DOLCE&GABBANA〉伊勢丹新宿店本館1階=ザ・ステージで日本限定アイテムを先行発売!
そんなふう 38

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そんなふう 38

小学生の頃、夏が嫌いだった。家にエアコンがなく、大阪の夏は毎日寝苦しく不快だったことが、その理由として真っ先に思い出されるが、夏休みのあいだにも学校のプールに通わなくてはならず、水着に着替える更衣室が汚くていやだった、とか、夏の照りつける日差しがとにかくうんざりだった、朝ラジオ体操に行くのが嫌だった、等々細かく他にも理由があった。とにかく毎年長い夏休みをもてあまし、早く夏が終わらないかとばかり思っていた。それが大人になってからいつのまにか夏が好きになっていた。薄っぺらい服を着て、サンダルに素足で歩くときに感じる夕方の風の心地よさ、汗をかいたあとのシャワー、暑いときに食べるスイカの甘い味、日暮れに屋台やテラスで飲むその日一杯目のビール、、どれも夏にしか味わえないこと。 今年の酷暑にはさすがに閉口した日も多々あったが、それでも夏が終わりに近づくとやはり寂しい。夏だけに感じる、なまなましさ、生き物の気配を全身で感じながら、暑さと一緒に自分もいまを生きているのだ、という実感を味わうことが、一番好きなのかもしれない。生の時間よりも死に向かう時間のほうが増えてくると、そういったことが有難いと感じるようになるのだなあ、と夕暮れに秋の虫の鳴き声を聞きながら、ふと思った。

2018.09.25
20人の日本人作家による器が集結「はたらく器、おいしい皿。2018」
〈UNIQLO〉「ミッキーマウス」と「アンディ・ウォーホル」のスペシャルコレクションを発売 !
〈H&M〉×〈WWF〉環境に優しいキッズコレクションを発表!
デンマーク発〈HAY〉世界最大級の規模を誇るショップ「HAY TOKYO」が期間限定オープン!

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第1回:多様な生き方、暮らし方
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第1回:多様な生き方、暮らし方

閃いたのは、新しいクリエイティブのヒント? それとも週末のパーティのアイデア?……ホームオフィスを舞台に、生き生きと働くこの女性。実は『Fasu』のファミリーを想定しながら最新のテクノロジーによって生み出されたデジタルヒューマンです。揺るぎない自分らしいスタイルを持ち、仕事に家事に家族とのクリエイティブな毎日を楽しむ『Fasu』的な暮らしを送る母親像をあらゆる面からキャラクタライズして生まれたこの女性は、私たちが生きる、ほんのちょっと先の未来を想定して生み出されました。 コロナ禍をはじめ、混乱する社会情勢、テクノロジーの急激な進化と未知の世界を歩む私たちですが、このデジタルヒューマンが暮らすちょっと先の未来では、果たして私たちは、どのような家族のかたちを求めて、どのように暮らしているのでしょうか。そんな未来の家族のあり方を、グローバルイノベーションデザインスタジオ「Takram」でデザイン、アート、サイエンスほか多岐の分野に亘ってデザインエンジニアを務める緒方壽人さんに3回にわたってお話を伺います。第1回目である今回は、家族での長野県・御代田への移住と、10年来続けてきたというオルタネティヴな暮らし方にいて訊ねました。 これからの人間とテクノロジーのあり方や共生を探る『コンヴィヴィアル・テクノロジー 人間とテクノロジーが共に生きる社会へ』(BNN刊)。その著者でもある緒方壽人さんは、この本の中で、「ちょうどいいバランス」を探すことの大切さについて触れています。 「暮らし方や家族のあり方は多様で、未来に何かひとつの理想形があるとは思いません。ですから今日お話しできることは、僕自身の家族のことや、これまでの経験から考えていることでしかないのですが……」 そう前置きしながら、控えめに、ゆっくりと話し始めた緒方さん。その穏やかな様子は、移住先である御代田の空気をそのまままとっているかのようでした。   〜〜 中略 〜〜 WHAT’S DIGITAL HUMAN? 揺るぎない自分らしいスタイルを持ち、仕事、家事、そして家族とクリエイティブな毎日を楽しむ女性。本記事トップビジュアルとして登場したこのモデルは、先述のように『Fasu』ファミリーの母親像を、顔立ち、ヘアスタイル、メイクアップ、スタイリング、さらにはライフスタイルに至るまであらゆる角度とディテールからキャラクタライズし、生み出されたデジタルヒューマンです。 最新鋭のテクノロジーを用いて生み出されたこのデジタルヒューマンは、東映デジタルセンター「ツークン研究所」、及び『Fasu』を擁する私たちアマナにより「企業広告や、ファッションカタログ、またメディアにおけるモデル使用における様々な課題解決」を目的として開発されました。 このバーチャルモデルを用いることで得られるメリットは1. 人種、人選、肖像権問題にまつわるリスク回避 2.使用期限や版権の制限フリー 3.リモートによる発注から納品 4.インナーブランドの統一化 5.CGによる表現可能領域の拡大……ほか多数。コミュニケーション及びコスト、クオリティなど、モデル使用のあらゆるフェーズで生じるデメリットをミニマムにし、モデル表現の可能性を大きく広げていきます。 デジタルヒューマンが描き出す、新しいモデルのあり方と可能性、そして未来にご期待ください。 問い合わせ先:

2022.11.17
エルゴベビーの抱っこひも「ADAPT」がリニューアル発売。アップデートした機能を解説
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