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菊池亜希子が考える、あたらしい時代のHOMEとは?
松屋銀座で『ねないこだれだ』 誕生50周年記念「せなけいこ展」を開催。原画を通して絵本の世界を堪能!
目指したのは、究極のかけやすさ。「バルミューダ」から初となる掃除機「バルミューダ ザ・クリーナー」が誕生
【Vol.11】アニヤ・ハインドーマーチのトートバッグ「I AM A Plastic Bag」
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【Vol.11】アニヤ・ハインドーマーチのトートバッグ「I AM A Plastic Bag」

トートバッグ(H24×W44×D12cm)¥83,000(アニヤ・ハインドマーチ/アニヤ・ハインドマーチ ジャパン TEL: 0800-800-9120)プラスティックバッグが完全有料化された2020年。加えてあたらしい時代とあたらしい生活のスタートに、環境への配慮やサスティナブルへの意識がより一層高まった家族も多かったのではないだろうか。そんな時代へ一石を投じるように、2020年2月にロンチされたのが、「アニヤ・ハインドマーチ」による、新コレクション“ I AM A Plastic Bag”だ。ファッションブランドとしてはいち早く、2007年にエコバッグの先駆け的な“I’m NOT A Plastic Bag”をリリース。その人気は社会現象となり、世界中の様々なメディアにこぞって取り上げられたうえ、イギリスにおいてはプラスティックバッグの有料化へと繋がった。   それから10年余り。この度お目見えしたコレクションは、素材のどれもが「捨て去られたかもしれない」ものから生まれている。ファブリックは、500mlのペットボトル32本を再利用しして生まれた新素材を使用。また、その表面は自動車のフロントガラスをリサイクルした素材でコーティングし、耐久性と耐候性を持たせた。さらに持ち手やトリミングのレザー部分は、森林破壊にはつながらない放牧により育てられた、トレーサビリティを確保できる素材から作られているという。   こだわり抜いた素材と思想から生まれたコレクションにして、その使い心地は実に軽やかでスタイリッシュ。コットンキャンバスのようなファブリックは軽量で、たっぷり荷物が入り、肩からかけられる。またボディの気になる汚れはさっと拭き取れるというのも、こんな時代にふさわしいではないか。   ロンチ以降、世界中のファッショニスタを夢中にさせているバッグではあるが、アニヤらしいウィットが効きながら、シンプルでエターナルなデザインはユニセックスに楽しめるのも魅力。パソコンも楽々入るので、通勤バッグとしてはもちろん、ママバッグや日帰りの旅行などにも活躍してくれる。   ストーリー、素材、そしてデザイン。そのどれもに大きな意味があり、そしてあたらしい。これぞニューファミリーにふさわしい、バッグのニュースタンダードといえそうだ。   サスティナブルの未来と家族についてさらに詳しく。デザイナー、アニヤ・ハインドマーチへの特別インタビューはこちらから。

2020.11.10
ブランド史上最小サイズ!「サイベックス」から新ストローラー「サイベックス リベル」がお目見え
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そんなふう 70
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そんなふう 70

夕飯の準備をしていると娘の話し声が聞こえてきて、手を止めることが最近よくある。耳を澄ますとぬいぐるみ相手におままごとをしているようでひとり3役くらいこなしていて面白い。それぞれにキャラクターを設定して物語をつくっているようだ。うまくひとりで遊んでいるなあと安心してまた夕飯の作業に戻る。しばらくすると、あまえたい、、と足元にまとわりついてきたりするので背中をトントンしてあげると今度はボール遊びを始めた。何かひとり言を言いながらリビングを走り回る姿は「天真爛漫」という言葉を思い出させる。そんな時期が自分にあったか覚えていない。「子どもらしくない」と父方、母方両方の祖母に言われたことがあるのは覚えているから、いわゆる無邪気な子どもらしい時期が自分にあったとしても思い出せないくらい前のことだろう。   数週間前、おばあちゃんになるのはいやだ、と言って突然娘が泣き出したことがある。どうしていやなの?と聞くと、だっておばあちゃんになったら死んじゃうんでしょ、そんなのいやだ、と言う。でもおばあちゃんになるのはまだまだ先だよ、そのまえにお姉さんにならないといけないし、それから時間が経って大人になって、おばあちゃんになってもすぐには死なないから大丈夫、と言ってもぐずぐずとして泣き止まなかった。死が怖くなるのはひとつの成長だが、この小さな身体でその恐怖と向かい合っているのか、と思うと不憫になってきた。普段の天真爛漫な様子からは伺いしれない、不安な気持ちが娘を襲っていた。しかしながら慰めようもなく、その時はただ背中をさするしかできなかった。 先週のこと、布団に入って絵本を数冊読んだ後、寝かしつけようとしたら「カカがおばあちゃんになるのいやだ」と言い出した。どうして、と聞くと「だって死んじゃうのイヤだ」と言う。また泣き出したので「でも死んでも生まれ変わってまた会えるよ、何度でも会えるから大丈夫、またカカの赤ちゃんで産まれてきてね」と言うと、そうなんだね、と少し落ち着いた。 時間が少し経って娘は自分が死ぬことよりも、親が死ぬことの方が怖くなったのかもしれない。そう考えるようになるのもまた、ひとつの成長なのだろう。自分自身も、自分が死ぬことよりも、娘と、家族と別れることがつらい。順番でいうと両親が先にいなくなるわけで、そのことを想像するだけで怖い。だから娘の気持ちもよくわかるから、いやだよね、、と思いながら抱きしめた。 そしてまた数日後、同じように絵本を数冊読み、さあ眠ろうとしたときに、「死んじゃうのはイヤだけど、また生まれかわったら会おうね」と言う。就寝まえにそんな話をしたくなるのは、眠りは死をイメージさせるからだろうか。自分も幼い頃に布団に入って目を瞑り、自分てなんだろう、どうしてここにいるんだろう、死ぬってどういうことなんだろう、と思って怖くなったことを思い出した。 死んでも生まれ変わる、という考えは娘にとって納得できたようで、その話をしても泣かなくなった。実際には生まれ変われるのかどうかわからないけれど、そう思うだけで死別のつらさや悲しさが少しでも和らげばいいなと思ったし、自分もそう思うことで気持ちの拠り所があるような気がする。娘を落ち着かせるためにとっさに言った言葉だが、自分自身にも言い聞かせているのかもしれない。   そして昨日、テレビを見ているとき、急に「ゆびきりげんまんしようよ」と言う。なにを約束するの?と聞くと「生まれかわってもまたいっしょに生まれようね」。ずっとそのことを考えているようで、死に対しての対処策として彼女なりに行き着いたのは「指切りげんまん」になったみたいだ。それで少しでも安心できたらいい、ほんとうに来世でも会えたらいいね、と思いながら指切りげんまんをした。   今回でこの連載は終了となります。 いままで読んでくださり、ありがとうございました。

2020.10.28
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