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2歳の誕生日を過ぎると、本格的にやってきたイヤイヤ期。なにをするにもいや〜と大絶叫してずっと泣き止まず、どんな言葉をかけても、なだめても抱っこしても海老反りになっていや〜!と、止まらない。聞いてはいたけど、これか〜、ほんとにイヤイヤ言ってるなあ!と一歩引いて見てみるとおもしろくもあるけど、やはり長引くと疲れる。集合住宅に住んでいたら虐待を疑われて通報されるんじゃないかと思うぐらいで、引越してよかったな、、とそんなところでよかったと思うのもなんだが、そんなことを考えるくらいにすごい絶叫。きっかけは小さなこと、服を着るのがいやだ、おやつを食べ過ぎてるけど、もっと食べたい、とかでぐずぐずしていたのが、絶叫が続くといつのまにか本人もなにがいやなのかわからなくなっている。最終的には気分転換になるようなこと、お気に入りのおもちゃを見せる、絵本を読む、などがあれば急にけろっとして機嫌がよくなるのだが、先日実家に帰ったときにもそんな状況になり、なにをしても泣き止まなかった。きっかけは寝かしつけている途中で、眠いのに寝られない上に、昼間蚊に刺されたところがむずむずしてきたのが気持ち悪かったようで、機嫌の悪さが頂点に達し、大絶叫。先に寝ていた父が起き出し、なにしとんねん!と、こちらも機嫌が悪くなり、板挟みで自分もイライラ。そういうときは外に連れてったらええねん!と父に言われて、近所迷惑じゃ、、と、思ったけど、まあ、たしかに外に連れてったら落ち着くかもなあ、あんたも小さいときそうやったんよ、と母に言われて思い出した。小さいときに喘息の発作でしんどいときは、とにかく外の空気が吸いたかったこと、両親や祖父母が交代でおんぶして連れ出してくれたこと。そうだったなあ、と思い、おんぶして外に出た。庭に育った花や野菜が月に照らされていた。それらを眺めながらうろうろすると、ほどなくして泣き止み、落ち着いた。背中の重みを感じながら、自分がかつて祖父や父、祖母、母の背中越しに見た夜の景色と気配を思い出した。おんぶしてもらうと身体がななめになるから、少し気道が通って息がしやすくなったこと、大人の背中にいる安心感と外の空気で少しの開放感を得られたこと、普段見る家の近所が夜になると違った風景に見えたこと、などを鮮明に思い出した。いま、自分の背中にもたれているこの子も、同じように思っているのだろうか、同じじゃなくても似たことを感じているのではないだろうか。こんなふうに守られていた、と逆の立場になってしみじみと感じることは子育ての途中でままあることだけど、この夜は実家にいたこともあったせいか、自分の子ども時代と濃密に重なった夜だった。繰り返される輪のなかの一部に自分がいることを、あと数日で満月になるだろう、完全な円ではない月を眺めながら実感した。