小田原文化財団 江之浦測候所|14歳の少女がアートの起源に思いを馳せる
東京に生まれ育ち、日本とイギリスの国籍を持つ14歳。母から太陽のように周りを明るく照らしてほしいとの願いを込めて「それいゆ」と名づけられ、中学生ながらポップな歌声が魅力のヴォーカリストとして活躍する少女が、昔はみかん畑だった小高い丘の上に立つ小田原文化財団 江之浦測候所を訪ねた。
ここは、現代美術作家・杉本博司が、10年もの歳月をかけて、子どもの頃に初めて自身の存在を意識するきっかけになったという、湘南電車の中から見た相模湾の海景を借景とする広大な土地を見つけ、さらに工事に10年を費やした施設である。日本のさまざまな時代の建築様式や工法を取り入れて造られた石舞台、茶室、庭園、門などのほか、名前の通り、天空の移ろいを観測するための建築物が随所に見られる。はるか昔の古代人が太陽の動きを知り、自分の場所を認識したことにより、人間の意識、そしてアートや文明が生まれた、その起源を追体験することで、人間としての最も古い“ 意識の記憶” を呼び覚ます。
「私は、『それいゆ』という名前ですけど、昔から月が好きなんです。満月になると嬉しい気持ちになるし、ミステリアスな雰囲気が魅力的。小さい頃、お母さんの自転車に乗せてもらっていた時によく空を見上げて月を眺めていました。自分で自転車に乗れるようになったある日、家までの帰り道に月を見ていたら、ずっとついてきているように感じて。家の中に入ってきちゃうと思って怖くなり、家に着くなり『家はダメ!』って大泣きしたのを今でも覚えています(笑)。その時は、まだ月と自分の距離を分かってなかったんです」。
月はもしかしたら、それいゆにとっての杉本の相模湾と同じような原風景なのかもしれない。
冬至の太陽の動きに沿って造られた70mのトンネル・冬至光遥拝隧道や、カメラレンズに使われる光学ガラスの舞台、夏至の軸線上に建てられたギャラリー棟などを巡り、
「初めて冬至の太陽の位置は低くて光が赤いことを知りました。月が満ち欠けするように、太陽の光の色も変化すると考えたら興味が膨らみます。ガラスの舞台の上では、海のさーっという音が気持ち良く、ガラスに反射する光がキラキラしていました。これまで太陽について意識したことがなかったから、ここは、人生で一番太陽と向き合った場所」
と眩しい笑顔で語る。
「特に印象的だったのは、いろんな時代、場所から集められたたくさんの石。同じ石を何千、何百年も前の人たちも見たんですね。何万年も前の人たちも同じ海を見ていたとか、ここがいつか遺跡になるとか思いつかない発想でした」。
異なる時代や場所が交差する空間で、それいゆによる時空を超えた旅が始まった。
「この場所は、1万年前は深い森だったんじゃないかな? 森の深い緑と青い海ときれいな空気があって、人は誰もいない。鈴虫が鳴いているだけ。江戸時代は、大きなお屋敷があって、将軍が海を見ながら、お酒を飲んでいたはず。戦時中は、お腹を空かせた疎開中の子どもたちがみかんを食べていたかも」
と想像は広がる。
では、未来は?
「いつかの時代、大きな地震で石が崩れてしまう。首都が東京ではなくなり、東京の方を向いた亀の石が残って元首都を向いていることになるかもしれません。300年後は、空も海も灰色になってしまい、人間は別の星に移り住んでしまう。その後、何百年もかけて、空と海はもとの色を取り戻す。そこにはケンタウロスみたいな新しい生物が棲んでいて、月、太陽、海や植物がきれいに色づく」。
天空と海、そして時間の流れに思いを巡らせた。
「インターネットでこの場所の写真を見ていたら、もしかしたら数点だけ見て満足していたかもしれない。でも、実際に来てみたら、たくさんの見るものであふれていました」。
誰かがSNS にアップした写真を通した疑似体験で、いろんなものを“ 見た気”になりがちな現代だが、実際の見る行為とは、五感を使っての体験であり、その場所まで行く時間や労力、誰と行ったのか、それまでの経験など、さまざまな要素を含めた記憶として刻まれる。江之浦測候所で得た“ 意識の記憶” は、それいゆの未来において、どのように活かされるのだろうか?きっと彼女がこれから作るものにあるその答えを、これからからも追い続けたい。