DATE 2019.06.20

映画『アマンダと僕』。ただ見守り、寄り添うことで乗り越えられるもの

以前にテレビで見た、過去に不登校だった人が言っていた言葉が印象的だった。「学校に行けない間、母親は一度も『学校に行け』と言わなかった」という言葉だ。

 

問題を抱えている人が必要としていること。それは、助言や過剰な心遣いではなく、ただ寄り添い、相手を認めてあげることなのではないか。映画『アマンダと僕』を観て、そんなことを思い出した。

『アマンダと僕』02

映画『アマンダと僕』の舞台はパリ。学校が終わり、迎えを待つ少女アマンダの元にやってくるのは叔父ダヴィッド。英語教師をしている母サンドリーヌに代わって、その日はアマンダを迎えに行くはずだったが仕事が遅くなり、アマンダを待たせてしまった。

 

ダヴィッドの仕事は便利屋で、アパートの管理人をしたり植木を切ったり様々。アマンダの母サンドリーヌとダヴィッドは姉弟で、父子家庭育ちだ。実母とは20年前に分かれている。

 

ある日、サンドリーヌは「プレゼントがある」とダヴィッドに封筒を渡す。そこには、ウィンブルドン選手権のチケットが入っていた。「アマンダと私と3人で観に行こう」と誘いながら、ロンドンで暮らす実母に会いに行く計画が見え、ダヴィッドは表情を曇らせる。20年前に自分たちを置いていった母を、どこかで許せずにいたのだ。

『アマンダと僕』03

ダヴィッドが管理するアパートにピアノ教師のレナが越してくる。レナと交流を深めるダヴィッドは、レナの合格祝いをするため、サンドリーヌらと公園に集まる。電車が遅れダヴィッドは遅刻してしまうが、向かう道中、猛スピードで走り去るバイクとすれ違った。公園の広場に到着したダヴィッドは、言葉を失う。そこには血を流して歩く人、地面に倒れて動かない人があふれていた。公園で無差別テロが起こったのだ。

 

テロでサンドリーヌが命を落とし、レナも負傷した。明け方、アマンダの元へ行くダヴィッドは、丁寧に事実を伝えるがアマンダは涙が止まらない。その後、役所で面談を受けたダヴィッドは、アマンダをどうするか問われる。「引き取るかどうかは自身が決めて」と言われ、困惑する。

 

アマンダは、ダヴィッドと叔母モードの間を行ったり来たりしながら過ごす。傷を負ったレナは、「今は1人にさせて欲しい」と実家に帰ってしまった。自身がサンドリーヌの死を受け入れきれないまま、アマンダのことも決断しきれずに悩むダヴィッド。2人の距離は、つかず離れず、けれども確実に何かが変わっていくのだった。

『アマンダと僕』04

オープニング早々、こんなエピソードがあった。テーブルに“エルヴィスは建物を出た”と書かれた本があり、アマンダがその意味をサンドリーヌに聞く。“エルヴィスは建物を出た”=“おしまい”“望みはない”という意味で、エルヴィス・プレスリーのコンサートで、なかなか帰らないファンを諦めさせるために言った言葉だとサンドリーヌは言う。

 

アマンダは後に、その言葉を自分自身に重ねる。たった10歳ほどで母を失った悲しみと衝撃、不安は想像することができない。アマンダにとっては、「全てが終わった」と思える悲惨な出来事に違いないだろう。

 

しかし、そう簡単には終わらない。人生は続いていくし、残された者として前を向き人生を全うする意味がある。だけど、たった1人で向き合うのは難しい。言葉はなくていい、ただそばで笑ったり泣いたりすることが支えになる。その時間が互いを癒し、悲しみや痛みをほぐしていくのだ。

『アマンダと僕』05

結果的にダヴィッドはアマンダを通して、自分の家族と改めて向き合うことになる。20年間疎遠だった母と再会し、前向きに関係性を築こうとするのだ。誰かの痛みに寄り添うことは、自身の痛みに気づくきっかけになる。

 

子育てにおいても、寄り添うことは重要なキーワードだ。先回りし、芽を摘むような発言や手助けではなく、ただそばにいて見守ることが、子ども自身の成長につながる。子どもが持つパーソナリティを育み、本来持つ個性を最大限に発揮させてあげられるのではないか。見守り寄り添い、必要な手助けを最低限するだけで、子どもは十分に育っていく。

 

『アマンダと僕』を観終わった時、家族の形はいろいろだと気づかされる。親は父と母だけではなく、親戚や血がつながっていない人でもいい。答えはひとつではないし、寄り添い方も人それぞれだ。痛みや苦しみを乗り越えた先には、いつか希望の光が差し込む。その光を信じて、日々を過ごしていくのだ。

『アマンダと僕』06

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