歴史を変えた感動の実話から学ぶ、夫婦のあるべき姿とは? 『ラビング 愛という名前のふたり』
「夫婦」って、何だろう? 恋人同士が結婚して夫婦になり、子どもができると家族になる。子どもが自立したら、再び夫婦に戻り、人生を共にしなくてはならない。
しかしながら日本は、「夫婦 < 子ども」が強いように思う。子どもができれば、そちらが優先。夫や妻はおざなりになり、子どもにばかり愛情を注ぐというのがありがちな姿だ。結果、夫は「父」妻は「母」になり、もともと他人だったこともあるから夫婦の仲は、希薄になっていくことが多い。さて、このままで良いのか?
夫婦のあり方を考えるきっかけになったのが『ラビング 愛という名前のふたり』だ。
物語の舞台は、1958年のアメリカ・バージニア州。異人種間の結婚が禁じられていた時代に、ある一組の夫婦が法律を変え、歴史を変えた実話を描いている。
レンガ職人で白人のリチャードと黒人のミルドレッドは恋に落ち、結婚する。しかし、バージニア州では異人種間結婚が禁じられていたため、2人は黒人と白人の結婚が認められているワシントンD.C.で手続きをし、地元に戻り、ラビング夫婦として新婚生活をスタートさせた。しかし、ある夜2人は逮捕され、有罪判決を受ける。
執行猶予の条件として、離婚しないならバージニア州を離れ、25年間は一緒に戻れないと言い渡される。ラビング夫妻は、やむなく大切な家族や友人と離れ、ワシントンD.C.で暮らし始める。
しかしそこでの暮らしは、自然が豊かなバージニア州とは真逆の都会。リチャードはレンガ職人として黙々と仕事を続ける中、3人の子育てに追われるミルドレッドは元気を失くしていく。そんな中、世間は黒人の自由と平等を求める公民権運動に沸き立つ。そのニュースを見たミルドレッドは、親戚に進められ、ある手紙を書く。それは、公民権運動を支援するロバート・ケネディ司法長官に宛てた自分たちの判決の違法性についてだった。
手紙をきっかけに、少しずつ変化が起こる。アメリカ自由人権協会から派遣された弁護士が夫婦のもとを訪れ、弁護を申し出た。ミルドレッドは、支援を集めるために、ライフ誌などの取材を積極的に受ける。一方で、リチャードは職場で嫌がらせを受け、再逮捕の恐怖を感じていたが、ミルドレッドの意志を尊重し、彼女を守ることを誓う。
弁護士により裁判の有罪判決の無効・破棄の申し立てが承認され、夫妻の判決は最高裁判所に上訴される。そして1967年、最高裁判所が異人種間結婚を違憲と認める判決を下し、法律は変えられることになる。
あらすじを読むと、とてもドラマチックな印象を受けるかもしれないが、実際は、流れる水のように静かで、穏やかな日常に起こっていることだ。ミルドレッドは、公民権運動に参加したわけでなく、手紙は家事や子育ての合間に書いた。リチャードは、ミルドレッドと子どものために、毎日レンガを積み続け、ミルドレッドの考えること・やりたいことを一番に尊重してきた。
豪華な食事やピカピカの広い家、派手な服などの贅沢は一切なく、そこには、愛だけがあった。相手を思いやり、そばに身を寄せ見守る。たったそれだけのことから生まれることが、結果的に国を動かす、大きな決断になったのだ。愛の力は偉大である。その強さは、どんなものにも負けない気がする。
映画館でぜひチェックして欲しいのが、ラビング夫妻のたまらない表情。寡黙なリチャードは、セリフよりも目や表情で気持ちを表す。そしてミルドレッドも、そう言葉は多くないものの、強く澄んだ目で、夫婦が進むべき道を促す。これらに注意して観ると、言葉以上に目や表情から伝わってくることが多いと感じるだろう。
さて、自分に置き換えて考えてみよう。夫の(妻の)顔を、今日はどれくらい見たか。どんな話をしたか。どれくらい一緒の時間を過ごせたか。時間の長さや内容に比例するとも限らないが、夫婦の時間をきちんと持てているかどうかは重要だ。
決して、ドラマチックな展開は夫婦に必要ない。しかし、会わない・しゃべらない・そばにいない…が続いてしまうと、思いやりや気遣いがなくなってしまい、夫婦関係が希薄になってしまうのは間違いない。
夫婦関係を考えるきっかけに、『ラビング 愛という名前のふたり』をぜひチェックしてみて欲しい。夫婦で観る映画としても、おすすめの1本だ。