パレスチナから生まれた奇跡の実話『歌声にのった少年』 スターになったのは「奇跡」、それとも「運命」?
「奇跡」と「運命」、みなさんはどっちが好きだろう。「奇跡」と「運命」について、ふと考えるきっかけになった映画が『歌声にのった少年』だ。
パレスチナ・ガザ地区を舞台に、歌手を目指す少年ムハンマドが、人気オーディション番組を経て、スーパースターになるまでを描いた物語。驚くことに、この物語は実話。ムハンマドのモデルになった人物ムハンマド・アッサーフは、アラブのスターとして世界中を飛びまわり、国連パレスチナ難民救済事業機関青年大使としても活動している。
ストーリーは、ムハンマドの少年期と青年期に分けて描かれる。ガラクタを集めて自作の楽器を作り、姉や友だちとバンドを組んで演奏する少年期。ガラクタでは満足できないムハンマドは、海で魚を獲って稼いだお金をため、楽器を買うために闇商人に取引するという危険な行動に出る。やっと手に入れた中古楽器で、結婚式や移動トラックで歌ったりと、やっと歌手らしい道を進みはじめるが、姉が病魔に襲われてしまう。結果、バンドは空中分解、姉も亡くなり、ムハンマドは歌手になる夢を胸に秘めたまま、大人になる。
少年期は、毎日が宝探しみたいで、とにかく楽しい。今は戦火にのまれ破壊されたパレスチナにも、地中海の穏やかな気候と素朴で美しい港町があったことを知らされる。自転車で疾走したり、友だちとじゃれあう街並も、のどかで平和だ。印象的だったのが、夕暮れの街をトラックに乗って演奏しながら駆け抜けるシーン。「ああ、こんなかわいい子たちが演奏してくれたら、きっと楽しいだろう」と、優しい気持ちになる。幻となった平和なパレスチナの空気感を、ぜひ映画館の大画面で感じ取って欲しい。
そして青年期。大人になりタクシードライバーとして働くムハンマドは、再び歌手を目指す。そのためには、オーディション番組「アラブ・アイドル」に出場して予選を通過せねばならない。ビザの取得、検問を通ること、パレスチナでは、国外に出ることさえも大きな壁になる。オーディション番組では、予選に出るための事前チケットが必要だった。ムハンマドは持っていなかったが、これら全ての壁を乗り越え、オーディション番組を通過、次々に勝ち進んでいく。
青年期は、スリリングで手に汗にぎるシーンが多い。それを盛り上げるのが、青年期のムハンマドを演じるタウフィーク・バルホームがかもし出す繊細な雰囲気。どこか危うげで、独特の影がある彼の魅力が、緊張感あるシチュエーションにぴたりとハマっていた。
ムハンマドが、あらゆる壁を乗り越えられたのは、「奇跡」か、それとも「運命」か。「奇跡」と答える人は多いだろうが、私は「運命」だったんじゃないかと思う。
ムハンマドの歌声は、唯一無二の存在で、いつかは世に出る運命だった。それが早いか遅いか、近道か遠回りかの違いで、人生のどこかで「歌手」になる道筋はできていたのだ。奇跡は、自分とはかけ離れたものや違う何かが働いて、起こるもの。本人がもつ力に影響され起こることは「奇跡」でなく「運命」。そう考えると、自分の「運命」は他人でなく、自分の手の平にあるのではないか。
『歌声にのった少年』に込められたメッセージは、たくさんある。夢をもつことの大切さ、叶えることの喜び、パレスチナをはじめとする全世界の平和。そして、「運命」は自分の手の中にあるということ。
子どもたちには、しがらみや現実に狭められない、自由な夢や目標を持ってほしい。昔は、「サッカー選手」も「宇宙飛行士」も「アイドル」も「パティシエ」も、夢のような職業だと思っていたが、大人になってみると、意外とそうでもないような気がしている。「絶対になりたい」「そのためには努力は惜しまない」という強い気持ちがあれば、何にでもなれる気がする。
「サッカー選手? 無理無理」と諦める前に、まずは子どものやりたい気持ちを応援してあげたい。子どもの人生を決めるのは、親でなく本人だからこそ。運命は、子ども自身が切り開いていくのだから。