そんなふう 62
自宅のリビングの窓は他の部屋のものと比べると随分大きい。見晴らしがいいけど鳥が窓に気づかずにぶつかってしまうことがある。先日も窓の下に倒れている小鳥を夫が見つけた。触るとまだほんのりと温かく、柔らかかった。夕方、保育所から帰ってきた娘に見せると、動かない鳥を見てどうしたの?と最初は状況がよくわからないようだった。しばらくして、死んじゃったんだね、とつぶやいてから突然大声で泣き出した。死に触れて号泣したのは初めてのことで驚いた。
半年前、義父が息をひきとった時にも一緒にいたのだが、その時はただ怖がっただけだったし、その翌日も死んじゃったんだね、と棺の中を覗き込んだりしたが哀しむ様子はなく、泣いたりもしなかった。まだ死の意味を理解していなかったようだった。
なかなか泣き止まなかったので、明日土に埋めてお墓をつくってあげようね、と言ったら少し落ち着いた。
翌日、引っ越してすぐに植えた沈丁花の木のたもとに穴を堀り、娘と一緒に鳥を蕗の葉にくるんで花を添えて埋めた。特に促したわけではないけれど、土をかけ終わったあとに手を合わせていた。墓参りの度に拝んでいたことを思い出したのだろう。ひととおり終え、納得したような表情になった娘はリビングに戻って何事もなかったようにテレビを見始めた。
娘にとっては見知らぬ小鳥だったので立ち直りも早かったが、長い間時間を共に過ごした家族や友人ではなかなか難しいことだ。
それでも弔いをすることで残された側は少しずつ日常に戻っていけるのだったなと、過去に参列した葬式のことなど思い出した。