そんなふう 59
七五三参りは実家から近い神社で参拝することにした。自分が3つ参りしたのも同じ神社だ。その時に着た着物がまだどこかにあるはずだから、と母が探したところ、女の子のいる親戚のところに七五三のたびに回っていき、何件目かの親戚の家にまだ置いてあることがわかった。たとう紙を開けると、長い期間誰も着ていなかったようで、あちこちシミだらけだった。これじゃあ着せられないね、ということになり、夫の実家に義姉の娘さんが以前着用した着物があるということで借用にすることにした。
当日、秋晴れのなか、慣れない下駄でよたよたと境内を歩く娘の姿に44年前の自分を重ねてみる。
当時のことは思い出せないが、一枚の写真が頭の端に浮かんだ。今の自分よりもずっと若かった、スーツを着た父に抱っこされた自分と、その横にジャケットと半ズボンのセットアップで千歳飴を持った5歳の兄が写っているものだ。幼い頃にその写真を見て、何も覚えてないけど、綺麗な着物を着せてもらえて良かったね、と他人事のように思ったことは覚えている。
4歳のときに父の経営していた会社が立ち行かなくなり、借金を抱えて当時住んでいた家も手放して滋賀から大阪に引っ越した。少し時期がずれていたら、わたしの3つ参りもどうなっていたかわからない。経済的に苦労していた事情を子供ながらに察していたし、贅沢することはできないのだと思っていた。七五三で着物を着るのは贅沢ということではないかもしれいけど、やはり特別なことのようにも見え、3歳の自分が綺麗な着物を着せてもらえた事実が写真に残っていることは、幼かった自分にとっては気持ちの拠り所だったのかもしれない、と今になって気づいた。何度も繰り返し眺めては、誇らしいような気持ちになったことを思い出した。
着物、思い切って手洗いしてみたら、ある程度シミがとれたわ、記念写真だけでも撮る?と母。参拝した翌日に着せてみると、昨日でもう十分、という感じで娘は着たがらない。なんとかなだめながら着せて家の外に出て撮影しようとしたが、どうにも機嫌が治らない。写真撮らないでと顔を隠してしまって結局うまく撮れなかったが、長いあいだ仕舞われていた着物が陽の光にさらされ、それを纏った娘が動いている姿を見ると、同じく自分のなかに長らく仕舞い込んでいた何かが解けていくようだった。