そんなふう 55
20年ぶりにアイスランドへ行った。ずっともう一度行きたい、と思っていたのにその機会がなく、自分で計画もしなかった。でも着いてから、やっぱり来たかったんだと気がついた。普段自分が住む場所から遠く離れたこの土地で、地球に住んでいることを実感できたこと、他の場所では見えない光があることを思い出した。
出産後、海外には娘もすでに何カ国か連れていっているが、今回は毎日長距離を移動しなければならないため、子連れで順調にすべての行程を終えられるか心配だった。細かく撮影場所が分かれていて、短い日程の中に撮影ポイントがいくつも散らばっていた。慣れない土地をレンタカーで移動するのも不安要素だったこともあり、スムーズにすべての撮影場所を回るために、母にも来てもらうことにして、家族で撮影旅行となった。
雨の中、滝の裏側を歩いたり、氷河のトンネルを巡るツアーに行ったりしたが、視界が悪く、足場も不安定な場所が多かった。それでも家族の協力のもと、娘もほぼすべての行程についてきてくれた。一箇所だけ同行できず、母と滞在先のアパートで留守番してもらった日がある。撮影旅行の初日、火山口の内部を見学するツアーに参加したのだが、12歳以下は参加できないのであきらめたのだ。行ってから納得したけれど、とても3歳の子連れでは無理だった。1時間近くトレッキングしたのち、数名しか乗れないゴンドラで約200メートル下の火口の底に降りていく。自分は高所恐怖症なので最初は下が怖くて見られなかったが、撮影が始まると集中するせいか、恐怖心はなくなった。内部は薄暗くて岩だらけで歩きづらい。岩肌は、ヘルメットにつけたヘッドライトだけでは暗くてよく見えないが、シャッターを押してストロボの強い光を当てると、いくつもの層がはっきりと見え、それぞれの色が重なり合う様に、人間の持つ時間よりももっと長い時間がそこに見えたような気がして、世界の始まりに思いを馳せた。上を見上げると入り口が女性器の形に似ていることに気がついた。まるで地球の胎内にいるような気持ちになり、自分の身体も大自然の一部に溶け込んだように感じた。しばらくの間無心で撮影したが、すぐにゴンドラに乗る時間となった。もっと撮影したかったな、と後ろ髪引かれる思いで来た道を戻る。帰りのバスの中でデジカメの画面で撮影した写真を確認し終わると、いくつか撮れていると感じた画像があり、ほっとした。すると途端に娘は母と二人だけで大丈夫だったかな、と気になった。もしもなにかあったら、と思うとそわそわと落ち着かない気持ちになり、つい先ほどの後ろ髪引かれる思いが反転し、すぐにでも二人がいるはずのアパートに帰り着きたくなった。以前は撮影が終わってもそのモードからすぐには抜け出せず、高揚感と緊張感が抜けなかったのだが、娘のことを思い出した途端にそこからぱっと切り離され、自分が親になる感覚が不思議だった。そんな気づきがあったのは、本格的に作品撮影したのが出産後初めてだったからかもしれない。