そんなふう 51
元号が変わり、新緑が眩しい季節になった。10連休前半は自宅で過ごし、後半は実家で過ごした。近くに住む母側の祖母にも会いに行ったが認知症が進んでいるのか、私の顔を見ても名前で呼んでくれない。娘の顔を見てもひ孫だとは認識できていないようだ。父側の祖母も晩年認知症で、甥っ子に会うたびに、この子はどこの子やったかな?と言っていた。家族のなかでも新顔は覚えられないのだろう。でも母側の祖母は自分がいろいろと覚えていないことを見せないようにしているようで、この子はどこの子だろうと思っても言わないようにしているみたいだった。それでも娘のためにお菓子を出してきてくれたりして、もてなしてくれた。
娘が毎日成長して、少し前に着ていた服がすぐに小さくなったりするのだから、祖母の認知症が進むのも仕方がないのかもしれないが、やはり目の当たりにすると寂しいような気持ちになる。5年前、東京の自宅に遊びに来てくれたときはもっと元気で生気があった。一緒に千葉の老人ホームにいる祖母の姉を訪ねて、半分向こう側にいるような状態だった姉に、しっかりしな!と大声で呼びかけていたのに。数ヶ月後に姉は亡くなり、そのとき一緒に励ましていた彼女の妹も少しして亡くなった。あれから自分は結婚、出産と大きな出来事が続いたが、祖母はゆっくりと確実に年を重ねて、ひとまわり小さくなった。
子供の5年の変化も大きいが、老人の5年もそうだ。あのとき、しっかりと意思を感じる眼差しで、途切れずに妹とのおしゃべりを楽しんでいたけど、いまは目の前にいても少し遠くにいるように感じる。あの日の祖母はもういないけど、それでもいま生きて娘と話している姿が見られるだけで嬉しい。こうして人が年をとるということを見せてくれることも祖母の役割なのであって、そうやって巡っていくのだ。可能性の塊である娘の姿と重なって、世の中の成り立ちと時間の流れを、強く感じるのだった。