そんなふう 50
ちょうど桜が満開の時期に自分の誕生日を迎えられることは、なかなかいいものだな、と47回目の誕生日を迎えた日にようやく思えた。外に出かけるとあちこちに桜をはじめ、色とりどりの花々を目にし、生まれてきたことを祝福されているかのようだ。小学生の頃、誕生日が春休み中だということもあり、終業式の前にお誕生日会するから来てね、と言ったつもりが、うまく伝えられてなかったようで、当日誰も来なくて猛烈にかなしかったという思い出がある。
その上学年で最初に年上になることがなんとなく損な気がしていたから、春生まれが嬉しいと思う自分に、いつのまにか年を重ねたことを実感する。47回目、と字にすると、なんだか改めてはっとする。自分が47歳なんて。約40年前の同じ日にパーティの準備をしてくれた母に申し訳なく、かなしい気持ちになったことを、いまもありありと覚えているのに。以前母が自分の顔、鏡で見たらぞっとするねん、シワだらけで、、と言ったので、いま自分が70歳過ぎてるとか信じられへんの?と聞いたら、まさか自分がこんなトシになるなんてなあ、と苦笑いしていたことを思い出す。まさに自分も、まさか47歳なんてなあ、だ。
前日から東京で仕事の打ち合わせがあったし、当日の夜は友人が誕生日会を開いてくれるということもあり、数日東京で過ごした。午前中、保育所を休ませていた娘は暇を持て余していたので、近所の公園でしばらく遊んでから園内の桜を眺めつつ散歩し、駅前のチェーン店の寿司屋でランチすることにした。子供連れでも気軽に入れるし、なんとなく誕生日だから寿司、という気分だったのだ。ランチセットを一つと娘用に納豆巻きを注文したあと、誕生日だしやっぱりビール飲もう、と思い、店員さんを呼び直し、グラスビールひとつ、と追加注文して娘と乾杯した。ビールを一口飲みながら、娘と誕生日をこんなふうに過ごせるのか、と思うと40年経ってあの日の誕生日会のことがなんだか帳消しになったような気がしたが、思えばこれだけじゃなく、娘が生まれた時点で過去のさまざまなつらい思い出はすべて帳消しどころかプラスになっているのではないか。晩婚で子供を授かる可能性は随分低かったけれど、無事に子供が生まれたあと、久しぶりに会った友人に、いやあ、よかったなあ、満塁サヨナラ逆転ホームランやなあ、と彼独特の言い回しでお祝いされたことがある。そのときは苦笑したが、自分の年齢を考えると、まさに最終回裏に奇跡が起こって全部ひっくり返ったかのようだ。それは勝ち負けという意味ではなく、ただ光が射したのだ。娘が光を連れてきて、それまで固まっていたものが水になり、強い光に照らされて蒸気になって空に帰ったかのような、そんな感じなのだった。