そんなふう 49
娘の成長は著しく、まさに目が離せない毎日だ。先週あたりからまた一段階話す言葉の語彙が増え、単語をうまく使って滑らかに話すようになってきた。いつも人形やぬいぐるみはもちろん、散歩中に見つけた花や落ち葉を拾っては、それらに向かってなにやら話しかけている。そして先週あった出来事をふと思い出しては反復して話している。足チックンしてえんえんしてバイキンマン食べたね、と言われた時はなにか作り話をしているのかと思ったけど、よく考えたら先日足に小さなトゲがささって泣いたときに、バイキンマンの形をしたグミをあげたのだった。大人は忘れていても、彼女はしっかり覚えている。
他者を労わる気持ちも芽生えてきていて、わたしがくしゃみをすると、だいじょうぶ?ティッシュいる?と言ってティッシュを一枚とって渡してくれたときは、小さく感動して、ありがたくそのティッシュで鼻をかんだ。部屋のなかで死んでいる小さな虫を見つけたとき、動かないね、かわいそうね、と言って人形用の布団に包んでしばらくずっと眺めていた。ご飯の準備をしていると一緒におりょうりする!と言い張って、洗面所に走っていき、自分専用の脚立を抱えて台所に持ってくる。作業台に手が届くようにセットすると、木べらで鍋の中身を混ぜたがってはらはらする。そのやる気に眩しさを感じるのだが、作業が進まないため、途中で諦めてもらってぬいぐるみとおもちゃのフライ返しを渡して、みんなにお料理つくってね、と言うと、また張り切ってぬいぐるみ相手にままごとを始めた。
朝起きるといつも夢のなかの出来事を話してくれる。さっき、こっしーと遊んでたの、こうちゃんもいたよ、と嬉しそうに話したりする。今朝の第一声は、はだかんぼうでお外走ったの!だった。寝起きとは思えないはっきりした力強い声で起こされた。起きてしばらくは夢の中と地続きなのだろう、立て続けに何やら話していた。彼女だけが持つ自分の世界がどんどん広がってきている。
またある日、夕暮れ時に公園に行くと、いつもよりも少し大きめの滑り台を滑れるようになったことが嬉しいらしく、何度も滑っては階段を登ることを繰り返していたが、途中、突然広場の方へ走り出し、空を仰ぎ見た。とくになにをするでもなく、しばらくそうやってひとり佇んでいる姿を見ていると、ある日の自分に重なった。暮れゆく空を見ながらひとり、公園で遊んでいた、あの頃。1日が終わることに対して幼心にも刹那さを感じ、肌寒くなってきたけどまだ帰りたくなくて、ただオレンジに染まっていく空を眺めた。娘もなにかをいま感じていて、自分なりの物語の世界にいるのだろう。そうやって1日が終わり、今日のことを片隅に記憶し、明日はまた新しい言葉を覚えるのだろう。