そんなふう 47
両親の金婚式ということで家族旅行をした。兄家族、弟を含む、大人7人、中学生1人、2歳児1人というメンバーで、温泉2泊旅行である。全員のスケジュールがちょうど結婚記念日にあたる日に都合がついたので、両親の新婚旅行先だった四国で宿泊し、翌日は岡山にある祖母の元実家を訪ねる、というスケジュールだった。兄と手分けしてネットで宿を探し始めたのは1ヶ月以上前だったけれど、大人数で土日ということもあり、いいなと思った宿はだいたいすでに埋まっていたが、なんとか温泉街から少し離れた場所に比較的良さそうな宿を見つけて予約した。
当日、関西在住の両親と兄家族とは琴平駅で待ち合わせして合流。老舗のうどん屋さんで昼食をすませ、金比羅さん参り。御本宮まで785段あるという階段は想像以上に長く続き、途中で雨まで降り出した。それでも、それぞれに会話しながら、時々娘を交代で抱っこしたり背負ったりして、それなりに楽しみながら登った。宿はネットの口コミを読むと不安要素もあったけど、ほぼいいレビューばかりだったので、期待して行くと予想以上に良かった。駐車場から宿が見えた途端、え、あそこなん?当たりちゃうか、と母が嬉しそうに言ったとおり、昨年オープンしたばかりの施設はどこも新しくて気持ちがよく、ロビーや室内の家具もモダンなデザインで統一されていて、華美でなくシンプルで居心地がよかった。温泉からの眺めも自然に囲まれていてリラックスでき、食事も美味しく、多すぎず、サービスを担当してくれた方々も皆はきはきと働いていていい空気だった。食事のあとにカラオケをして部屋で用意しておいたケーキを食べて、ひととおり1日目の予定した行事が無事に終わってほっと安堵した。宿選びを数々失敗したことがあるので、特別な日のきょうは絶対失敗したくない、と気合いを入れていたこともあり、なによりみんなが喜んでいたことに小さな達成感を感じつつ床についた。
結婚して50年、自分が生きている年数よりも長い時間、夫婦であるということはどんな感じなのだろう。まだ自分達きょうだいが幼かった頃、父の事業がうまくいかなくなり、金銭的に大変だった時期もあった。父は自分のしでかしたこととはいえ、家族を養うために自分のしたかったことは置いておいて、別の会社に定年間際まで働いた。母は夫の両親と義叔母とずっと同居、8人家族の家事全般と合わせて朝から晩まで仕事、合間に内職。当時の母の苦労は、自分が子どもの目線で見ていた以上のものではなかったのだろうか。いま思うともっと家事を手伝えばよかったと思うのだけど、当時の自分は自分の気分を優先させる本当にただの子どもだった。それでも、ただ一緒に生活するだけでもなにかの役に立っていた時もあったのではないか、と自分の娘や甥っ子を見て思う。娘が時々おんぶして、とぐずったりしながらも、世話をしてくれる甥っ子の様子を見ているだけで、なにか、生きる力のようなものを分けてもらっているようだった。きょう一緒に過ごした時間は、可能性のかたまりである彼らがいることで一段トーンが明るくなり、みんなを照らしていた。長い階段に時々へこたれながら、それぞれに励ましたりしながら登ったことは、家族のひとつの縮図のようだ。先に進む人もいれば立ち止まって休む人もいて、時々声を掛け合う。そうやって50年歩んできたひとつの小さな家族を、金比羅さんの山の上から眺めているような気持ちで眠りに落ちた。