そんなふう 46
先月はずっと移動続きの日々で、自宅にいた時間は少なかった。年始は1週間ほど実家で過ごし、数日後は夫の実家の天草に帰省したあと、その流れで熊本市内と大分在住の友人にそれぞれ会いに行った。そのまた数日後はイギリスの友人に会うために仕事を兼ねて行き、イギリスの南東部の友人宅に数日滞在したあとロンドンに移動。そこでもロンドン、オクスフォード、ミラノ在住の友人たちと再会。帰国した翌日はベルリン在住の友人が東京に来ていたので会いに行った。とにかくずっと人に会っていて、様々な場所に住んでいる家族、親戚、友人を訪ね歩く月間だった。娘もずっとつきあってくれたから、生まれてから一度も会えてなかった人たちにやっと顔を見てもらえたこともよかった。
普段自分が住んでいる場所の周辺には友人も親戚もいない。ただ、仕事に便利で、なおかつ自然豊かな場所だから、いまの土地を選んだのだ。だから会いたい人に会うために、自分が動けばいいのだけど、それが先月重なった。いろいろな場所に住んでいる友人たちのことを時々思い出しては、会いたいな、元気かな、と思っていたが、小さい子連れだと準備のいろいろや、移動中の大変さを思うとまた今度にしようかな、と後回しにして、この数年なかなか会えなかった人たちもいた。そうして先延ばしにしていたら会いたかった人のひとりが去年の秋に亡くなってしまった。突然のことだったので驚いた。そして先延ばしにしていたことを悔いた。最後に会ったのはいつだっけ、と思い返したら妊娠中のときだった。次に会うときは子どもが生まれた後だな、子どもに会ってもらうのが楽しみだな、と思っていたし、次に会えるのが当然のように、笑顔でまた!と別れたけれど、あれが最後だった。お葬式にも行けなかったから、ずっと弔問させてもらいたかったところ、やっと伺えてご家族と思い出話をすることができた。故人が自分の結婚パーティに来てくれたとき、祝辞をいただいたのだが、「長いつきあいというわけではないけれど、このお二人にはなぜか不思議なご縁とつながりを感じます」と言われたときに自分たちも同じことを思っていたので嬉しかった。いつも離れて暮らしているし、年齢もそんなに近いわけではないのだけど、あの人がいま、同じ時間を生きている、ということが励みになるような、尊敬する生き方をされている人だった。残されたご家族の思いは計り知れないが、ただ思い出を一緒に話せて、子どもに会ってもらい、新しい時間を共有できたことで、秋に訃報を聞いてから宙ぶらりんになっていた自分のある部分が着地できたようだった。そしていま生きているうちに、会いたい人に会って話ができることを噛み締めた。
会えるだけ友だちに会っておこう、と詰め込んだ先月のスケジュールは、突然会えなくなった人に対する自分の行動できなかった後悔が、無意識に後押ししたように思う。これが最後かもしれないという覚悟で毎回人に対峙するように努めたいと思っても、いざそのときがくると、やはりそれができていなかったのだという悔しさが、衝動として出てきたのだろう。いつでもその覚悟で生きて行きたいが、それでも別れは常にかなしいだろう。