そんなふう 41
この秋はヨーロッパでいくつか仕事が重なり、3週間くらい滞在した。自分が日中仕事でいないことが多いと予想されたので、母にも来てもらうことにした。数週間のあいだに飛行機や電車を使って何箇所かのアパートとホテルに滞在したが、家族3人分と母の荷物を持って移動するのは一苦労で、毎回小さな引越しのようだった。新しい滞在先にチェックインするたびに、ひとつひとつのプロセス、飛行機や電車を間違えないで乗る、チェックイン前に大家さんに連絡し、鍵をもらう、荷物を一つ残らず持って来る、などを成し遂げたことに毎回ほっと安堵したり、小さな失敗(子どもの靴や服をどこかに忘れたり、選んだ部屋が思ったよりも清潔じゃなかったり)を悔しく思ったりもした。
平日はほぼ仕事だけど、母が食事をつくってくれたり、子どもの世話を夫が引き受けてくれるので、安心して仕事に集中できた。そして土日は休みだったので、毎週末、友人に会ったり、公園や美術館、蚤の市に行ったりして、ヨーロッパの秋の休日を楽しんだ。海外に滞在中のほうが、日本にいるときよりも、土日がしっかりと休めるのがとても好きだ。街全体がいつもよりもゆったりした空気に包まれて、仕事モードからプライベートの時間に自然にシフトできる。ロンドンに滞在したある土曜日は、朝から雲ひとつなく晴れていて、とても暖かかった。滞在先から歩いていける公園に散歩に行き、ただ公園内を歩くだけで幸福感に包まれた。ロンドンの曇り空を想像していた自分にとっては、秋晴れの光のなか、広い公園を家族と一緒に歩くだけで、十分に嬉しいことだった。
最後に滞在したアパートはパリ左岸の比較的新しい建物の3階の一部屋だった。建物の前の通りには、新鮮なオーガニックの野菜を売っている小さな八百屋さん、肉屋さん、チーズ屋さんなどがいくつもあり、スーパーも至近距離に3つもあるのだけど、そのどこもが賑わっていて、それぞれに需要があるようだった。日本ではどんどん失われていく、個人の小売店と大手のスーパーが共存していることに、懐かしさを感じるのはどうなんだろう、日本っていつのまにそんな風景が少なくなってしまったのか、とがっくりすると同時に、活気のある通りにひととき滞在できることが嬉しくて、毎日食材や日用品を買いに行った。短い滞在中でも、野菜はチーズ屋の横の八百屋の人参が味が濃くておいしい、駅の向こう側のモノプリだともやしが売っている、骨つきの鶏肉は家の目の前の肉屋が安いとか、地味だけど大切な情報をインプットすることも楽しかった。そして滞在も後半になってくると、この通りがあるならもっと長く住んでみたい、とまで思うようになった。いま滞在してる部屋を買えるとは思わないけど、もし賃貸で借りたらいくらだろう、水回りをリノベーションしたら住みやすいだろうな、公園も近所にたくさんあるから、子どもにも環境がいいな、などと夢想する。でも実際に住むとなると、ビザ取得の面倒さや、異国で部屋を借りるのがどれだけ大変か、という状況を乗り越えなくてはいけないわけで、その困難さを想像すると途端に気持ちは萎えてしまうのだった。それでも、自分はどこにでも行けるし、住んでみたいなら他の国に住む可能性もあるし、いつでも動ける気持ちでいられる自由を持つことができるのだ、という喜びと有り難さを、そのひととき、じんわりと味わった。