そんなふう 40
先日、昔10年くらい住んでいた街の花火大会を観に行った。毎年夏に開催されていたのだが、台風や大雨などの天候不順が続くことが予想され、今年から秋に開催されることになったらしい。昔住んでいた自分のマンションの目の前は特等席で良く見える場所だったので、毎年早朝からひとりで場所取りをして、山盛りの料理をつくって、友人たちと花火を見ることが恒例だった。終わった頃にはへろへろで、床に転がって眠るのがいつものことだった。引越してからは同じ街に住む友人宅の家から花火を見るようになり、出張などがない限りはいつも参加していた。通算すると15年くらいは続けて観ていたのだけど、今年は娘と観るのは初めてのことになった。どんな顔をするのか期待していたけど、驚いた様子でポカンとしばらく眺めてから、怖がって自分の後ろに隠れてしまった。時々足のあいだから覗いては、こわい、こわいと言う。きれいでしょ?と言ってもおびえてしまい、家のなかに入ってしまった。まだ一緒にきれいだね、と言うには早かったなあ、たしかに2歳児には怖いのかもしれない、、と思いながら、娘は夫にまかせて花火の撮影をすることにした。過去に数え切れないほどに撮影しているから、半分飽きている自分がいるのを感じつつ、それでもカメラを構える。1時間きっかりで終わることを知っているから、最後の10分くらいに集中しようと準備した。この花火大会のクライマックスがいつも連発で打ち上げるのが見応えがあるのだった。そして期待通りに今年もすごい迫力だった。2分近く打ち上げ花火が途切れずに連続して上がり、それを観ている途中に胸に迫ってくるものがあり、最後の打ち上げ花火が終わってからは涙がとまらなかった。いままでたくさんの花火を観ているのにそんなことは初めてで、自分でもなぜだかよくわからなかった。娘と見るのが初めての打ち上げ花火だったからなのかな、と思ったけど、そうではなかった。あの街で過ごした10年分の自分のいろいろが、花火と一緒に打ち上がって、昇華されたように感じたのだ、とあとになって気がついた。