そんなふう 14
子供と一緒にいると、すれ違う人によく笑いかけられる。初めて会った、ただすれ違った他人と距離がぐっと縮まり、ほわんとあったかい空気が流れる。
春のある日、雨が降るなか、桜並木の明治通りを車で通っていた。夫が運転してくれていたので、自分は後部座席に子供と乗っていた。雨で桜が散っちゃうね、と言いながら外を見ていたら、引っ越し業者のお兄さんが車を停車して荷物を運び出していた。渋滞していたので、雨のなか大変だなあと、しばらくぼんやり眺めていたら、そのお兄さんが雨に濡れながらこちらを見てにっこりと笑った。子供と目が合ったのだ。しばらくにこにこしてから、また作業に戻っていった。きっと疲れているだろうに、この子を見て少し癒されたのならばよかったなと、こちらもにっこりとした。
先日子供を抱っこ紐で抱えてバスに乗った。夕方ということもあり、随分混んでいたのだけど、何人かの人に席をどうぞ、と声をかけられた。なるほど、子供連れだと席を譲ってもらえるのか、と戸惑いながらも、有り難く席に座ると隣に座っていた年配の女性がかわいいねえ、でも大変ねえ、と笑いかけてくる。そうですねえ、と相づちをうって笑顔を返す。こんなふうにバスとか電車に乗って横の人と話すなんて、ニューヨークにいたとき以来だなあ、と気がつく。短い間だったけど、10年くらい前にニューヨークに部屋を借りていた時期があった。その頃、地下鉄の電車の中で横に座った人に、その服いいわね、どこで買ったの?とか、きょうはいい天気だねえ、なんてどうでもいいことをよく話しかけられたことを思い出した。そういう感じがニューヨークの好きなところだった。東京でも子供を連れていると、他人との距離を近づけるのだ。
それでも時々、逆に子連れだからこその冷たい対応をされることもある。うちから一番近い地下鉄の駅にはエレベーターがあるにはあるのだけど、自分がいつも使う改札側からは離れていて、階段しかない。ベビーカーで移動する人たちにはとても不便なつくりだ。ある日、子供を乗せたベビーカーを抱えながら階段を降りていると、ちょうど着いた電車から人が大勢降りてきて一斉に階段を登ってくる。逆流する人たちのなか、戻ることもできずによろよろと立ち尽くしていると、階段を登ってくる女性がスマホを見ながら、いかにも邪魔そうにベビーカーを押しのけ、倒れそうになった。そんな自分を横目に見ながら、手を貸すどころか邪魔だなあという顔をして登っていく人たち。ぎゅうとつぶれそうな気持ちになって、(実際押しつぶされそうだったのだけど)なんだかなあとかなしい気持ちになった。まあ、そんな日もあれば、バスで席を譲ってくれる親切にあたたかい気持ちになる日もあり、どちらも子連れでなければ気がつかなかった体験だ。かなしい気持ちになりながらも、冷静になってきたので電車に揺られながら考えた。どんな人でも疲れているときに、駅の狭い階段で逆行してくるベビーカーを持った、よたよた歩く女が降りてきたら、たいへんそうだなあとまず思ってから、でもちょっと邪魔だなあと、ちらっとでも思うかもしれない。気持ちに余裕があれば手伝ってあげようと思うだろうけれど、そうじゃないときもあるのが人間だ。ひょっとしたらベビーカーのなかにいた子供の顔を見たら手伝ってくれた人もいたかもしれない、とも思う。邪気のない子供の顔にはそういった気持ちをひっぱりだす力があるからだ。雨に打たれながら作業していた、あの引っ越し業者のお兄さんが、厳しい顔からすうっと笑顔になったときのことを時々思い出し、そんなふうに思った。