そんなふう 10
近所の通り沿いにある木蓮の蕾みが膨らむと、もう一年経ったのか、と毎年思う。その姿は春が来る嬉しさ、待ちきれないようなわくわくとした気持ちのようにぷっくりと膨らみ、ふわふわとした表面の手触りは、まるで毛皮をまとっているようないでたちで、まだしばらく続く冬の寒さを感じさせる。ちょうど春と冬の狭間を現しているようで、なにかが新しく始まりそうな予感とひとつの季節が終わるさみしさのどちらも内包しているかのようだ。
去年見つけた土地に家を建てることになり、先週地鎮祭があった。土地を初めて見地した日から地鎮祭の日までがぴったり丸一年。ちょうど夫の誕生日だったのはただの偶然とはいえ、この土地と縁があったのだろうと感じた。初めて敷地内に入ったとき、それまで曇っていた空が急に晴れて光が射し込み、竹林の向こう側から小川のせせらぎが聞こえた。その瞬間にこの場所なんじゃないか、と自分も夫もピンときてすぐに決めた。まるでこの場所に来たことを歓迎されているかのような光だったのだ。その後の家を建てるすべてのプロセス、土地の売買、住宅ローンの手続きや工務店さん、設計士さんとのやりとりなどがちょうど妊娠、出産の時期と重なり、普通の状態ではないなかでいろいろなことを決めなくてはならず、産後鬱にはならなかったけど、新築鬱になりかけた。贅沢な悩みだが、住宅ローンを組むのにとても大変だったことと、家を建てるプレッシャーが育児と授乳中に重なり、胸の奥がつっかえている感じがずっと続いていた。母の知り合いで家を建てた人が鬱になったらしい、と聞いたときはそんなこともあるのか、と他人事として聞き流したが、しばらく憂鬱な気持ちが続いたとき、あ、これかあ、と納得した。初めてのことだし、大きな買い物ということもあり、気負いすぎてしまったのだ。地鎮祭が終わってもうすぐ着工、となってほっとしたせいか、春めいてきた気候も手伝って、新しい生活がやっと楽しみになってきた。