2030年のゴールを目指し、17の分野別の目標と169項目のターゲットから設定された国連による持続可能な開発目標=SDGs。世界に暮らすあたらしい家族たちは、今、このSDGsにどう向き合って、何を考えているのだろう。今回は、映画・音楽ジャーナリストの宇野維正さんが、新型コロナウィルスの世界的パンデミック下にある今こそ観返したい、スーパーヒーロー映画の中に込められたSDGsのメッセージを紐解く。
新型コロナウイルスの世界的パンデミック下にある日々において、昨年公開された『アベンジャーズ/エンドゲーム』(2019年)のことを思い出した人は少なくないはずだ。2008年から始まったマーベル・シネマティック・ユニバース(以下、MCU)の22作目となる同作は、その1年前に公開された『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』(2018年)の後編。主要となる舞台は、前編のラストでMCU史上最強の敵であるサノスによって全宇宙の人類が無作為に半分消された、その5年後の世界だ。大切な人を失った多くの人々はまだ深い哀しみに沈んでいて、道行く人もまばら。そんな気が抜けたような「5年後の地球」の姿は、世界中の各都市が続々とロックダウンしていった現在の地球の姿に、ちょっとギョッとするほどよく似ている。
10年以上にわたってMCU作品を追ってきた人ならばご存知のように、これまでMCU作品は政治、経済、科学技術、軍事問題、テロリズムなどなど、その時々の社会的なイシューを常に物語の題材として取り入れてきた。特に、当時大きな盛り上がりをみせていたブラック・ライブズ・マター運動と呼応した『ブラックパンサー』(2018年)、女性たちへのエンパワーメントをストレートにテーマにした『キャプテン・マーベル』(2018年)ではそれがピークに達し、それらの流れがすべて注ぎ込まれたのが『インフィニティ・ウォー』と『エンドゲーム』の2作だった。
劇中におけるアベンジャーズの面々は、スーパーヒーローたちを国連の管理下に置くというソコビア協定を巡る分裂を経て、『インフィニティ・ウォー』と『エンドゲーム』ではその協定を反故にしてサノスに立ち向かうために再び団結していくわけだが、作中では2015年9月に国連総会で採択されたSDGs(持続可能な開発目標)の17つの目標を連想させる描写を数多く見つけることができる。もちろん、それは偶然ではなく、MCUが描いているのは我々が生きているこの世界の並行世界であり、その作り手たちは常に「今の社会で何が起きているか」と「そこにどんなメッセージを込めるべきか」ということにアンテナを張り巡らせているからだ。もっとも、『インフィニティ・ウォー』と『エンドゲーム』でその目標の多くを実現しているかのように見えるのは、実はスーパーヒーローの側ではなく、ヴィラン(悪役)であるサノスの側なのだが。
・貧困をなくす–あらゆる場所のあらゆる形態の貧困を終わらせる
・飢餓をゼロに–飢餓を終わらせ、食料安全保障及び栄養改善を実現し、持続可能な農業を促進する
・人や国の不平等をなくそう–各国内及び各国間の不平等を是正する
・住み続けられるまちづくりを–包摂的で安全かつ強靱で持続可能な都市及び人間居住を実現する
・つくる責任つかう責任–持続可能な生産消費形態を確保する
・気候変動に具体的な対策を–気候変動及びその影響を軽減するための緊急対策を講じる
・海の豊かさを守ろう–持続可能な開発のために海洋・海洋資源を保全し、持続可能な形で利用する。
・陸の豊かさも守ろう–陸域生態系の保護、回復、持続可能な利用の推進、持続可能な森林の経営、砂漠化への対処、ならびに土地の劣化の阻止・回復及び生物多様性の損失を阻止する
『エンドゲーム』の序盤のいくつかのシーンを簡単に検証するだけでも、サノスが実行した全人類無差別半減計画によって、以上の8項目が達成されている。象徴的なのは、人類同様に半減したスーパーヒーローたちをアベンジャーズ本部でなんとか繋ぎ止めているブラック・ウィドウに、生き残ったヒーローたちが現状報告をするシーンだ。アフリカプレートで起こった海底地震を報告するオコエは「正しい対処方法は、人間が何も対処しないことだ」と言う。キャプテン・アメリカは、人口が減ったことによって海の環境が大幅に改善されて、ニューヨークのハドソン川にクジラが現れた話をする(まるで、現在盛んに各国で報じられている、世界各都市のロックダウンが地球環境にもたらした一時的な改善のニュースのようだ)。
実は『エンドゲーム』が公開されてからしばらくして、監督のルッソ兄弟(の弟ジョー・ルッソ)は「サノスは気候変動と人類の地球資源濫用についての例え話」だとはっきりと明かしている(引用元)。その発言を引用してみよう。「サノスは気候変動と人類の地球資源濫用についての、薄いベールに包まれたある種の例え話です。この地球を受け継ぐことになるであろう子どもたちがいる自分にとって、それこそが不安の中心にあります。だからこそ、自分の映画には、自分たち自身や他人の間に論争を巻き起こすテーマを盛り込みたいのです。そして、それをスーパーヒーロー映画の中で語ることに意味があると思っています。もし、私がそうした問題についてのドキュメンタリーを作ったとしても、これほど多くの観客に届くことはないでしょう。『インフィニティ・ウォー』や『エンドゲーム』を観た人の中には、無意識のうちに環境や資源について何かをしなければならないと思った人がいるかもしれません」。
全人類無差別半減計画を実行した後のサノスが、宇宙の片隅にある星でたった一人、農作業に没頭しているのも示唆的だ。『インフィニティ・ウォー』でのサノスの目的は、宇宙を支配することではなく、自給自足によって人々が生活していた「持続可能な世界」に戻すことだった。その世界では、彼もまた一人の生活者でしかない。しかし、後にサノスは自身の理想とする世界が失敗であったことを知る。サノスは言う。「過去を知る者がいる限り、『新しい世界』を受け入れない者が必ずいる」。『エンドゲーム』で最終的にサノスが目指すのは、「反知性主義」、あるいは「歴史健忘症」とでも言うべき、人々の知識や教養の否定だった。SDGsの17つの目標でいうなら「質の高い教育をみんなにーーすべての人々への包摂的かつ公正な質の高い教育を提供し、生涯学習の機会を促進する」の否定である。そして言うまでもなく、サノスの独り善がりで暴力的な行為は、徹頭徹尾「平和と公正をすべての人にーー持続可能な開発のための平和で包摂的な社会を促進し、すべての人々に司法へのアクセスを提供し、あらゆるレベルにおいて効果的で説明責任のある包摂的な制度を構築する」にも思いっきり反している。
先日、世界的パンデミックの真っ只中でちょうど公開1周年を迎えた『エンドゲーム』。そのタイミングで、アメリカの有力映画メディアは「同作が記録した歴代世界最高興収記録は、もう二度と破られることはないだろう」(引用元)と報じた。確かに、今回の新型コロナウイルスのパンデミックは、各国で映画館が再開されてからも年単位での客足への悪影響が懸念されている。また、パンデミックの期間、アメリカでは多くの劇場公開予定作品がPVOD(特別価格でのオンデマンド配信)として公開されて、今後は新作映画の映画館と配信での同時リリース、さらには配信への段階的な移行への可能性が取り沙汰されている。そして、2022年7月までラインナップが発表されている今後のMCU作品の中に、これまでユニバース作品の中で最も安定して高い興収を記録してきた(スーパーヒーローが勢揃いする)『アベンジャーズ』シリーズの続編は予定されていない。おそらく、次の『アベンジャーズ』が公開されるのは2023年以降になるはずだが、その頃には映画を取り巻く環境が一変しているに違いない。
好むと好まざるとに関わらず、新型コロナウイルスのパンデミック以降、この地球は「新しい世界」へと移行していくだろう。それが「より良い世界」になるのか「より悪い世界」になるのかはまだわからないし、誰かにとって「より良い世界」は誰かにとって「より悪い世界」であるというのも世の常だが、映画界もまた、気候変動と地球資源濫用を重要なモチーフとして描いた『エンドゲーム』を最後の金字塔として、「新しい世界」へと入っていくことになる。