DATE 2021.02.11

世界が注目するバイオミメティクスデザイナー・亀井潤に聞いた、子供時代、環境問題そして未来のこと

バイオミメティクスデザイナーとして世界的に知られる亀井潤さん。“これまでになかった仕事”を選んだ理由はどこにあったのか。フランスで過ごした子供時代、東日本大震災がきっかけで選んだ進路。未来をつくる人はどんな風に成長し、経験してきたのだろうか。
(C)Jun Kamei

「バイオミメティクス」という言葉を聞いたことがあるだろうか?

 

人間、動物、植物、昆虫などの生物の動きや機能を応用し、新しいテクノロジー開発に役立てていく技術を指す。耳慣れないかもしれないが、実はバイオミメティクスは医療や科学の最先端の領域から、家電など日常生活の身近なところにまで、広く採用されている。

 

そのバイオミメティクスの分野で世界中から注目を集めているのが亀井潤さんだ。ロンドンを拠点とする亀井さんは、「バイオミメティクスデザイナー」という肩書きからもわかるように、技術とデザインを掛け合わせ、社会課題を見据えた研究・クリエイティブ活動を繰り広げている。

 

 

AMPHIBIOは周囲の水から酸素を取り込み、体内に溜まった二酸化炭素を発散させることで水中呼吸をサポートする特殊な素材で作られている。
Design by Jun Kamei,Photography by Mikito Tateisi,Model : Jessica Wang

フランスと日本を行き来する少年時代

亀井さんが世界的に知られるようになったきっかけは、2018年に発表した「AMPHIBIO(アンフィビオ)」だ。水に棲息する水中昆虫の呼吸メカニズムからヒントを得て作られた、水中で呼吸ができる「人工エラ」である。地球温暖化が進み、もしかしたらやがて訪れるかもしれない水没した都市で、水上および水中で生活する人間のためにデザインしたという。

 

バイオミメティクスとデザインという両軸の掛け合わせでプロダクトを生み出す亀井さんの創作活動には、今ある社会全体の課題に対しての解を未来に向けて提示しているようなある種のポジティブさがある。「バイオミメティクスデザイナー」という、”今までにない”仕事を選んだ亀井さんはどのような子ども時代を過ごしてきたのだろうか。

 

 

 

ーーまずはこれまで人工エラ「AMPHIBIO」をはじめとしたバイオミメティクスの作品を発表されてきた亀井さんの「発想の源」を探れたらいいなと思います。亀井さんはどのような子ども時代を過ごされたのでしょうか?

 

ぼくは5年間、親の仕事の関係でフランスと日本を行き来していました。フランスにいたのは小学1年生のときと、小学3年〜6年生の間と、中学3年〜高校1年までです。初めてフランスに行ったときは、海外に行くのが初めてで、周囲に日本語を話す人がいないという環境に「放り投げられた」という感じです。最初の1カ月くらいは、周りの人が何を言っているかわからない状態からスタートしました。

 

ーー現地の公立学校に入学したのですか?

 

そうですね。日本人はぼくだけで、他に中国系の子がひとりいる現地校でした。南仏の街はアジア人が少ない状況だったので、小学1年生にして究極の経験をしたように思います。

 

 

最初の渡仏時

ーーフランス語は自然に習得できたのですか?

 

結構勉強しましたね。親が家庭教師を呼んでくれて、3カ月くらい経ったところで、ようやくコミュニケーションをとれるようになりました。幸い、学校や周りの人たちが受け入れてくれて、差別もいじめもありませんでした。そういう意味では恵まれていたのかもしれません。

 

ーー小学生の段階で、フランスと日本を行き来して、環境がめまぐるしく変化していたと思いますが、そのときはどんなものに興味をもっていましたか?

 

フランスの周りの友だちが興味を持っていることには、やはりぼくも興味を持ちましたね。小学1年生のときは植物が好きでした。地域の植物を集めて図鑑を作る授業があったときは、裏山に行って植物を集めて乾かしたりして、とても楽しかったです。

 

ーー当時はどんな遊びをしていましたか?

 

フランスではみんなで一緒に運動したりサッカーしたりとか、ビー玉で遊んだり。それが小学生の日常でした。ぼくは3人兄弟なのですが、兄弟で近くの公園でサッカーをしたりして。男だけの兄弟だったから母は大変だったと思います。

 

ーーフランスでの生活で、親御さんは亀井さんにアドバイスをしてくれましたか?

 

ある程度言葉がわかるまでは、友だちを作るのも難しかったので、最初の1年目に親がハムスターを買ってくれました。あと、親からは「日本語は勉強しなさい」と厳しく言われていましたね。平日はフランスの現地校に通っていたので本当は週末は遊びたいのに、漢字の勉強をしなくてはいけなくて、泣く泣くやっていました。でも日本語のこと以外で、親から勉強のことを何か言われた記憶はないんです。

 

 

自然への興味の原体験

ーー日本人として日本語もしっかり読み書きができるように、という教育方針だったのでしょうか。

 

そうだと思います。中学生で日本に帰って来たときは、インターナショナルスクールに入りまして、自分みたいな人は結構いるんだなと驚きました。これが普通の日本の学校に戻っていたら印象がまた変わっていたと思いますが、そこはぼくのために親が考慮してくれたのだと思います。

 

 

ーー海外生活が長い亀井さんですが、いまのような作品を作るにあたり、どうやって自然と出合い、興味の幅を広げていったのでしょうか。原体験として思い出すことありますか?

 

やはり南仏にいたというのが大きいと思います。周りが海も近いし、自然も多いし。親がいろいろなところに連れて行ってくれて、すごくきれいなところ見つけたり。山でトレッキングをしたり、カヌーで川下りをしたり、日常的に外で時間を過ごすことが多かったです。フランスは2カ月間休んだり、休暇が長いのでそういう旅行ができたというのもありますが。

 

ーー素敵ですね。そのころ、生物には興味はありましたか?

 

ぼくの場合は生物や昆虫が好きでハマったというよりは、自分で調べたり集めるのが好きで、それが一時期は植物だったり、一時期はビー玉だったり、と対象は変わっていたように思います。日本でインターナショナルスクールに通っていたときは、理科の先生が理科室で実験させてくれたんですよ。フランスではそういうのはなかったので楽しかったですね。

ーー理科室で実験をしたり、科学に興味を持ちながら日本で高校生活送り、大学では工学部を専攻されたんですね。

 

そうですね。科学は教科書に書いてある反応が実際に見られるので”体験”として面白くて、もっと知りたいという気持ちでした。

 

ーー進路は親御さんに相談されましたか?

 

いろいろアドバイスをもらいましたね。でも、自分なりに科学を勉強したいというのもあったし、日本ではずっと大阪にいたので、東北はどんな場所なんだろうと興味がありました。遠い場所なら一人暮らしができるなって(笑)。もちろん東北大学は材料工学が強い大学で、そういう側面からも選んではいますが、もう少しぼんやりした選び方だったように思います。

大学時代に東日本大震災を経験。自然と寄り添うテクノロジーへ

ーー東北大学には2009年に入学しました。どんな大学生活でしたか。

 

ぼくは音楽が好きで高校では吹奏楽部だったので大学でも続けようと思ったのですが、東北は自然が豊かな場所なので、ずっと室内にこもっているのもったいないと思ったんです。そう思っていたら、たまたまトライアスロン部があり、入部するとかっこいいロードレーサーを貸してくれるので入部しました(笑)。

 

当時の環境としては、朝起きて、大学に行き、帰ってきて、そこから山にトレイルランニング。夏は30分間、自転車を漕いで、海で泳ぐ練習したり。自転車で15分くらい広瀬川沿いを走ると、温泉街もあるので、とにかく自然が豊かな場所でした。人生で一番自然に触れた時期だったと思います。

 

ーーそんななか大学時代に仙台で東日本大震災を経験されたわけですね。

 

はい。ぼくが20歳のときでした。沿岸部も釜石から茨城県のひたちなかまで、自転車で走ったことがあるのでよく知っているのですが、その多くが被災してしまいました。ぼくが普段練習していた場所は内陸数キロくらいまで浸水していたので、もし日が違っていたら、そこで練習していたかもしれない。合宿所は福島第一原子力発電所の近くで、たまたまあの日に練習や合宿がなかっただけです。1000年に一度と考えると2日、3日は誤差で。あの体験がなかったら、自然の良さ、美しさ以上の、より深いところまでは考えが至っていない可能性があります。

 

 

ーーその経験が、いまの活動につながっていくのですね。

 

そうですね。この経験で、自然をないがしろにしてしまう文明の在り方や、テクノロジーの在り方は、自然のしっぺ返しを受けることになるんだと考えました。ですからテクノロジーの方向性と在り方に寄り添っていかないといけない。その中で自分のひとつの答えは、自然から学んで、自然と調和するようなテクノロジーやプロダクトが重要だということです。

 

自然を制圧してコントロールするような従来型のテクノロジーではなく、寄り添うところから着想を得る技術の在り方のほうが、「まし」なのではないかなと。その分野をもっと研究したいと思ったときに、たまたま東北大学の先生が自然科学を工学に応用するバイオミメティクス(生体模倣工学)の先駆者で、それはすごくラッキーでした。

 

ーー亀井さんは、実際に就職活動をされていましたが、結果的にはロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA/王立美術院)に進学されるわけですね。

 

実は日本の企業でもいくつか内定をいただいたのですが、震災のときに一緒にボランティアをした人が、たまたまRCAの方だったんです。デザイナーなのですが、その場で実験器具を組み立ててしまうような面白い人で、この人はどこで何をしたらこうなるんだと思って聞いてみたら、RCA出身だということがわかって。世の中にテクノロジーを使って、商品やサービスとして届ける”デザイナー”という職業に興味を持ち始めたきっかけでした。

 

(C)Jun Kamei

バイオミメティクスで表現したいこと

ーー現在はロンドンで起業していますが、「AMPHIBIO」をはじめ、たくさんプロダクトが世界で注目されています。

 

RCAは大学院ですが、起業した人たちを支援するビジネス・インキュベーターを持っていて、そこでオフィス構えて起業しました。AMPHIBIOは人工エラなのですが、エラを開発するのと同時に、水を通さずにガスを通す膜という通常では使わない新しい素材を作っています。その素材が、最近、スポーツウェア、アウトドアウェアなどが使用していた従来の素材よりもサステナブルだということがわかり、いまは100%リサイクル可能なアウトドア素材をロンドンで作っています。

 

ーーエラの研究から予期していなかった新しい素材ができたわけですね。

 

そうですね。100%リサイクル可能なアウトドアウェアは、人工エラを作ってなかったら着想していなかったと思います。人工エラがスポーツウェアやアウトドアウェアのイノベーションにつながっているのは面白いですよね。

ーー人工エラは水没した都市という、もしかしたらくる未来から着想を得ていると思いますが、亀井さんは、いまの子どもたちが大人になる20年、30年後は、どんな未来になると思いますか?

 

水没する未来がこないよう、いまやるべき環境問題に取り組んでいくことが大事ですよね。いま作っているスポーツウェアやアウトドアウェアも、資源をリサイクルしたり、二酸化炭素の排出量を減らすように取り組んでいます。人が物を使い終わったら捨てるのではなく、それをまた資源にするサービスを考えたり。そういうことを通じて、自分のプロジェクトで描いたような水没が起きないようにしたいと思います。

 

また、東日本大震災を経験した原体験から、もしかしたらまた同じ規模の大災害が自分が生きているうちに起こるかもしれない。日本でまた起こったら日本に帰って日本を修理しないといけないなと思っています。そのときは自分なりで得たノウハウを活かして、問題解決に役立てたいと思います。

興味のあることを追求するために「自由」な環境を

ーー最後に、新しい時代を生きていくであろう子どもたちに必要なことは、どのようなことだと思いますか?

 

子どもが興味を持ったことを、自由に追求していける環境をつくることが大事だと思います。ぼく自身、結果としてこういう活動をしていますが、能力的には特別なわけではありません。勉強も特別にできたわけではなくて、一つひとつのことが普通レベル。でも、興味を持っていることに対して、誰もブレーキをかけなかったというのが、自分の人生を振り返ると良かったなと思っています。ぼくは、それが実は教育において大事なのではないかなと思うんです。

 

 

 

ーー自由な環境というのは、決してほったらかしにするというわけではないですよね。

 

そうですね。ぼくも特に「勉強しろ」とは言われてこなかったですが、「これをやりたい」と言うときに反対をされたことはありませんでした。大事なのは「やりたいことがあるなら、やってみなさい」という、子どもの興味を否定をしない、ただそれだけだと思います。もちろん能動的にサポートできるのは素晴らしいですけど、興味があるものに対して反対せずに、話を聞くだけでもいいのではないかなと思います。

 

バイオミメティクスの研究者という道から、あえて外に飛び出し、デザインというもう一つの軸を見つけた亀井さん。「誰もブレーキをかけなかった」という環境が、亀井潤というクリエイターを生み出したのだろう。

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