アメリカ大統領選直前のタイミングを狙い撃ち? Netflix映画『シカゴ7裁判』から民主主義精神を学ぶ
これまで本コラムではドキュメンタリー作品やテレビシリーズを紹介してきたが、Netflixが今最も力を入れてるのは、実はオリジナル映画だ。一昨年の『ROMA ローマ』、昨年の『アイリッシュマン』『マリッジ・ストーリー』『2人のローマ教皇』をはじめとして、近年Netflix作品はアカデミー賞主要賞のノミネートでも常連となり、昨年はそのノミネート数でハリウッドのすべてのスタジオを上回った。つまり、今やストリーミングサービスの世界だけでなく映画界においても、一番力があるのはディズニーでもユニバーサルでもワーナーでもなくNetflixなのだ。
もっとも、そこには裏があって、Netflixオリジナル映画と銘打たれている作品の中には、かなりの割合で外部のスタジオが製作して、作品が完成した後にNetflixが独占配信権を買い取った作品がある。例えば、全編モノクロにして全編スペイン語という、普通に世界各国で劇場公開をしたらかなり小規模な興行となることが予想された『ROMA ローマ』は、監督のアルフォンソ・キュアロンの意向によって、より多くの人に見てもらうためにNetflixでの配信公開が選択された。そのようなこれまであった動きに加えて、今年の3月以降、新型コロナウイルスの感染拡大によって劇場の閉鎖が広がると、作品公開の場を失ったハリウッドのメジャースタジオは、Netflixをはじめとするストリーミングサービスに多くの作品を売却することとなった。スティーブン・スピルバーグらが設立したドリームワークスが製作し、パラマウント・ピクチャーズが配給する予定だった『シカゴ7裁判』も、実はそんな作品の一つだ。
『シカゴ7裁判』の製作陣がNetflixに売却してでも公開を急いだ理由は、作品を観れば一目瞭然。1968年8月にシカゴで開催された民主党全国大会の最中に大規模デモを共謀したとして起訴された7人(最初は8人)の裁判を描いた本作は、明確に2020年11月のアメリカ大統領選挙がおこなわれる前になるべく多くの人々に観られることを想定して作られた作品だからだ。日本とは違って自らの政治的スタンスを明確にするのが当然のアメリカのエンターテインメント界において、ハリウッドの映画人の多くが共和党ではなく民主党寄りなのはよく知られていること。しかし、本作はドナルド・トランプへの批判を射程に収めて当時のリチャード・ニクソン共和党政権の汚点を描いてみせるような、単なるプロパガンダ的作品とは一線を画した、「民主主義とは何か?」そのものを問いただした普遍的な作品となっている。
さらに、全世界的なブラック・ライブズ・マター運動の盛り上がりや、アメリカのリベラル派の象徴的存在だったルース・ベイダー・ギンズバーグ連邦最高裁判所判事の後任に保守派のエイミー・コニー・バレットが就任したことなど、今年起こった重要な事件を直接的に連想させる『シカゴ7裁判』は、10年以上前から企画が温められてきたことが信じられないようなタイムリーな作品となっている。名作はいつどんな時代に観られても名作だから名作と呼ばれるわけだが、一方で、このように数々の同時代的な偶然を引き寄せてしまうのも名作の条件でもある。過去にも、明らかに大統領選挙を見据えてその直前にアメリカで公開されるような映画はあったが、日本公開までのタイムラグによって、選挙の結果が出たその翌年に少々シラけた気分で劇場で観ることになる作品も少なくなかった。Netflixのようなストリーミングサービスが新作映画を配信するようになったおかげで、そういう作品をアメリカだけではなく全世界の人々、それも劇場公開されるよりも確実に多くの人々が、同時に観ることができるようになったわけだ。
『シカゴ7裁判』の監督と脚本を手がけているのはアーロン・ソーキン。近年の作品では、Facebookの創業者マーク・ザッカーバーグの学生時代から起業までの青春期を描いた『ソーシャル・ネットワーク』や、Appleの創業者スティーブ・ジョブズの時代ごとの名スピーチとその裏側から半生を浮き彫りにしていった『スティーブ・ジョブズ』などで知られる、ハリウッドを代表する名脚本家だ。ソーキンの脚本の特徴は、とにかくセリフが多いこと。その異常な量のセリフを約2時間の映画の中で適切に処理できる監督が限られていることもあるのだろう、実在する非合法カジノの女性経営者を題材とした2017年の初監督作品『モーリーズ・ゲーム』に続いて、本作でも自ら監督を務めている。
実際のニュース映像も交えて、膨大なセリフとともに本作の主要登場人物が紹介される冒頭のタイトルが出るまでの約8分のスピード感には、誰もが圧倒されるだろう。そのあまりの情報量の多さに追いつけなかったとしても、焦る必要はない。『シカゴ7裁判』は政治的な作品であると同時に、エンターテインメント作品としてもしっかりと作られている作品なので、物語の進行とともに各登場人物のキャラクターや話の焦点が見えてくる。それに、もし気になるところやわからないところがあったら、一時停止してネットでググることができるのもストリーミングサービスで観る映画の長所。当時のアメリカの政治状況やベトナム戦争の反戦運動をよく知らない若い世代(と言いながら、自分も生まれる前の時代なのだが)にとって、『シカゴ7裁判』ほどその長所を有効活用できる作品もなかなかないだろう。
一つだけ気をつけてほしいのは、『ソーシャル・ネットワーク』や『スティーブ・ジョブズ』もそうだったように、ソーキンは話の面白さを優先して、細かい出来事をかなり大胆にアレンジしたり創作したりするタイプの脚本家であることだ。本作は来年のアカデミー賞の各部門でも有力候補となるに違いないが、もし評価が分かれるとしたらその点だろう。実際に起こった事件や裁判を描いた映画は、現代史に興味を持つ上で大きなきっかけとなるが、『シカゴ7裁判』はそこで描かれていることを全部鵜呑みにしてはいけないという教訓も与えてくれる。そこを踏まえつつ、是非、日本の若い世代にもできるだけ多くの人に観てほしい。本作のラストシーンは、当時の反戦デモで盛んに叫ばれたある有名なフレーズで終わる。そのフレーズは、現代の日本人にとってもまったくそのまま当てはまるものであることに気づくはずだ。
Netflix映画『シカゴ7裁判』独占配信中