将来の夢は映画監督。17歳シネフィルに聞いた「僕と映画のヒストリー」
【SPECIAL FEATURE】子どもと映画の今とこれから
観たいものを観たいだけ楽しめてしまう今どきの子どもたちのコンテンツ環境。これから子どもたちにとっての本当に幸せなコンテンツ体験とはなにかを考える。開催中のショートショートフィルム映画祭とのスペシャルコラボコンテンツも!
Z世代が映画と出会うとき
映画は世界の窓だ。映画を通して、わたしたちは知らない文化に触れ、行ったことのない場所を訪れ、会ったことのない他人に自分を重ねることができる。そして感動し、共感し、涙するのだ。
映画はそうした未知の体験を与えてくれる想像力の宝庫だ。子どもたちにとってもそれは同じ。
とくに子どものときに観た映画の記憶は、鮮烈にその後の人生に影響を与えるといわれている。
スティーヴン・スピルバーグは5歳のときに父にサーカスだと連れられて観た『地上最大のショウ』(1952年)が映画の原体験だった。アニメーターの宮崎駿は『雪の女王』(1957年)、昨年ヴェネチア国際映画際で監督賞を獲った黒沢清は『ゴジラ』(1954年)を観て、運命が変わった。
そんな映画との出会い方も、視聴方法が多様になりずいぶんと変わった。昔は親や大人たちが映画館に連れて行ってくれたけれど、いまはNetflixやAmazon Primeなどの動画配信サービスやYouTubeが主流。10代の半数はスマホで映画を観るという。倍速、飛ばし見なんて当たり前だ。
玉石混交ともいえるコンテンツの洪水のなか、私たちは子どもたちにどんな環境を作ることができるのだろう。豊かな映画体験を与えるにはなにができるのか――その答えのヒントになるようなひとりの少年がいる。
10歳から映画評コラムをスタート
原田理央(はらだ・りお)くん17歳。4歳から映画に触れ、小学生で映画監督になることを決めたという。12歳になると、映画制作には英語が欠かせないと単身海外の中学校に進学した強者だ。現在はパンデミックの影響で日本に帰国中だが、映画監督の夢は現在進行形である。
また、理央くんは藤原ヒロシが運営するデジタルメディア「Ring of Colour(リング・オブ・カラー)」に映画のコラムを6年前から寄稿している。これまで紹介した作品の数はなんと150本以上!シャープなコメントが読んでいて痛快な若き映画評論家なのだ。
今回、そんな理央くんを話を聞くことに。学校帰りの服のままやってきた理央くんは英語のほうが話しやすいと挨拶し、映画との出会い、海外留学、そして家族のことについて語ってくれた。
――Ring of Colourの連載見てます。映画愛に溢れた真っ直ぐな言葉で、ときに皮肉たっぷりに的を射た考察が痛快です。どのような基準で映画を選んでますか?
ありがとうございます。からかうつもりはないんですけど、映画の出来がよくなかったら、おもしろおかしく批評しています(笑)。映画を選ぶ基準はとくにありません。そのときに気分で選びますね。
――2015年スタートだから、もう連載して6年目ですね。はじめるきっかけは?
お父さんが藤原ヒロシさんと友人で、ぼくが映画を好きなのを知ってくれていて、「じゃ、やってみなよ」と言われてスタートしたのがきっかけです。10歳ぐらいだったと思います。
――日本語と英語で書かれていますが、それぞれで書かれている内容が違うんですね。
英語で言いたいことを日本語にするのってなかなか難しくて。なので、英語で考えたものは、英語で書いています。
――一緒に投稿されるイラストもインパクト大です。どのようにイラストを描くようになりましたか?
子どものころから自然と描いてたんです。別に本気でやってたわけじゃないんですけど、映画のポスターや好きなシーンをみながら、時間があるときに描いていました。最初は色鉛筆で描いていたのですが、父の勧めでiPadで描いていた時期もあります。
――最近はどんな映画を観てます?
う〜ん。あまり映画を観れてなくて。今ちょうど試験シーズンなんです。どちらかというと、TVドラマを見直している感じですね。『ゲーム・オブ・スローンズ』2周回目です。
――新しい映画の情報はどこで手に入れますか?
インスタグラムとかYouTubeとかで流れてくる予告編が多いです。COMPLEX(ポップカルチャー全般を扱うウェブサイト)とかもありますね。『Mr.ノーバディ』という映画がもうすぐ公開されるんですが、それが楽しみです。『ジョン・ウィック』の監督の作品なんです。
――アクションがすごそうですね。好きな映画のジャンルはありますか?
アクションとミステリー。SFも好きです。ホラー映画は怖いのであまり好きじゃありません。友だちや両親と一緒だと大丈夫だけど、ひとりでは観ません。
――日本の映画は観ますか?
観ないですね。どの予告編を観てもおもしろそうに見えないんです、ぼくにとっては。きっと素晴らしい作品はたくさんあるんでしょうけど。
――好きな映画監督は誰ですか?
クエンティン・タランティーノ、ジョージ・ルーカス、クリストファー・ノーランかな。よく名前が挙がる人たちですけど、やっぱり彼らの作品は素晴らしいです。いい映画を決めるのは、ストーリーとシネマトグラフィー(映像の演出)だと思っています。シネマトグラフィーが優れているとひと目でいい作品だと分かってワクワクしますね。
――映画は幼いころから観ていましたか?
はい。両親ともに映画が好きで、週末とか金曜日に家族でムービー・ナイトをしていました。ある晩、『ホーム・アローン』を観ていたんですけど、ぼくは体調が優れなくて。でも映画がおもしろくて死ぬほど笑ったもんだから、声がガラガラになってしまったのをよく覚えています。
――家族で映画を観る習慣があったんですね。いままで一番大きな影響を与えた映画はなにですか?
4歳のときに観た『スター・ウォーズ』。記憶にあるもっとも古い映画です。観たときは、まさにぶっ飛ばされた感じです。もうなにもかもに圧倒されました。この映画をきっかけに映画監督になろうって決めたんです。
両親は「いいんじゃない?」と言ってくれた
――そのことをご両親に話ましたか?
はい。「sounds cool(いいんじゃない?)」って言ってくれました。
――応援してくれたんですね。
はい。とても理解を示してくれて、ぼくの夢をずっとサポートしてくれています。小学校を卒業するタイミングで、映画の道を真剣に考えたら、日本にいるより海外の方がよいと思って、海外の中学校に進学したいと伝えました。
――ご両親の反応はどうでしたか?
最初はとてつもなく心配していました。でも最終的には、ぼくの夢を応援してくれました。当初は留学先にアメリカを考えていたのですが、両親と話し合いをした結果、もっと安全なカナダになりました。両親にとっても大きな決断だったと思います。
――ご両親の教育方針はどのようなものでしたか?
好きなこと、関心があることを自由にさせてくれました。ひとり息子を海外の中学校に行かせてくれたので、すごい理解のある親だと思います。だって12歳ですよ。
――どちらにとっても勇気がいったことだと思います。理央くんが留学した学校はどんなところでしたか?
トロントから車で1時間のところにあるオーロラという街のボーディング・スクールでした。芸術を勉強する環境としては、カナダは最高の場所だと思います。土地が広大で自然に溢れていて、自由を感じながら学ぶことができました。
――どのような授業が好きでしたか?
芸術全般の授業は楽しかったです。とくに音楽と演劇のクラスはずば抜けておもしろかった。ほかにもビジネスコースの一環としてビデオの編集の授業もありました。
――友人とはどのような話をして刺激を与えあっていましたか?
カナダの人はみんな映画が大好きで、友だちとはしょっちゅう映画の話をしました。先生ともたくさんしましたね。少しでも時間があれば部屋でみんなで映画を観ていました。
――現在は日本に戻ってきていると聞きました。
はい。COVID-19の影響で日本に帰ってこなければなりませんでした。いまは日本のインターナショナルスクールに通っています。
――いまでも映画監督になりたいという夢をもっていますか。
もちろん。
ただ、いまは映画監督だけに限定せずに、その他の映画に関わる職業にも関心があります。大学に進学するつもりですが、映画を学べるところに行きたいと思っています。そこで自分にとって一生をかけて情熱を注ぐことのできるものはなにかを見つけたいと思っています。
――将来はどんな映画を作りたいと思いますか?
断然、アクション映画かな。セットも凝っているやつ。ストーリーがしっかりしていて、アクションもものすごいものを作りたいです。目指すはハリウッドですね。
彼の語る言葉は思春期の高校生らしく少し繊細で、情熱的で、映画への愛に溢れていた。
4歳で観た『スター・ウォーズ』との出会いは理央くんを突き動かす原動力になり、世界の扉をたくさん開けた。そしてそこにはいつも家族の理解と支え、愛があった。未来の巨匠に期待大である。