創造性は、特別な人だけのもの? ― 好奇心を駆動させる「観察の練習」:第1回
創造性は、特別な人だけのもの?
こんにちは、菅俊一です。普段私は美術大学の教員として新しいデザイン教育の実践を行う傍ら、人間が物を理解する仕組みに基づいた、新しい表現の研究開発を行っています。またその一方で、教育番組の企画制作や知育玩具の企画開発にも携わってきました。このような自己紹介をすると、「デザインや表現って、創造性が必要だと思うし、一部の才能がある人しかできないことですよね」というようなニュアンスのことを言われることが多いのですが、その認識は、私自身の理解とは少し違っています。
昨今、産業や教育の分野において、社会に新しい価値を生み出し、停滞している世の中に変化を起こすためには、創造性と呼ばれるような能力を積極的に育てていかなければならないと強く言われています。しかし多くの人は、創造性という能力は「生まれつきの才能に由来しているものであり、特別な人だけが持っているものである(だから、普通の人間である私には無い)」と思い込んでいるように見えます。
私は、創造性という能力は後天的に獲得可能な能力であると考えています。もう少し別の言葉で言うと、創造性とは、事物への気づきや抽象度の操作、要素の新しい組み合わせ方などをはじめとした、思考の技術であると考えています。
技術ということは、長年積み重ねることによって習得および向上が可能です。もちろん、スポーツなどのように、すごく向いている(これも正しくは、習得しやすい性質を持っていると捉えた方がいいかもしれません)人がいる一方で、基本的な技術は誰でも身につけることが可能だと捉えています。
他の技術(楽器演奏やスポーツなど)が幼少期から始めた方が習得しやすいのと同様に、おそらく思考に関しても幼少期の段階から少しずつ訓練していくことによって、より熟練し使いこなせるようになるはずです。
日常の小さな違和感に気づく
実際に、私は美術大学という場所で、新入生から創造性の基盤となる思考技術を鍛えるような演習を行っていますが、もし、これがもっと早い段階からなされていたら、より社会のさまざまな分野で創造性が活用される機会が増えていくのではないかと考えています。
今回は、このような考えに基づいて、いくつかある思考技術の訓練の中で最初に行う「観察」という行為に焦点を当てて、お話しできればと思っています。
一般的に「観察」というと、アサガオの観察のように、ある特定の対象を継続して見続けて変化を記録していくといった行為のことを指しますが、ここでは「日常の中にあるさまざまな小さな違和感に気づくこと」という意味で「観察」という言葉を使いたいと思います。
小さな違和感とは、例えば誰かの手による創意工夫であったり、自然が作り上げた現象であったり、自分の目が勘違いして見てしまったようなものです。それは、あまりに当たり前すぎて普段は見過ごされているようなものですが、日々の暮らしの中で見る解像度を高めていくことで、小さな違和感に気づくことができます。そしてなぜ違和感を抱いたのかを考えていくことで、気づきから新しい驚きや面白さを得ることができるのです。
つまり、観察の技術を磨くことで、私たちはさまざまな日常の風景から、「面白さ」や「驚き」の種を見つけることができるようになります。それは言い換えれば、日々の生活の中にある当たり前の事象について、好奇心を駆動させていくということです。
みなさんもご存知の通り、これまで私たち人類は、好奇心を駆動させることによってさまざまな発見や挑戦がされ、進歩を続けてきたという歴史があります。そのようなことからも、私たちがこれから新しいことを生み出し続けていくためには、未知のものを知りたいと思ったり、面白いと思ったりする気持ちがとても重要だということが分かります。
未知のものというのは、何も最先端の科学のようなものだけではありません。日常の中にある「なんだこれ?」と思うようなものだって、私たちにとっては未知(これまで知らなかった)の情報です。家の中にも、街中にも、日々の暮らしの中に未知のものは溢れています。
こちらもあわせてご覧ください:
第二回:創造性を育む「観察」の練習をしてみよう