〈ステラ マッカートニー キッズ〉デジタルプロジェクトの新作“フラメンコ・カタルシス ” を発表!
Q&Aでは、フラメンコ・カタルシスのクリエイティビティの源であるロロ・ゴンザレスの世界観に迫ります。彼がどのように若い世代を巻き込んだのか、彼が考える社会のフラメンコに対する最大の誤解について、フラメンコの未来について語ってもらいました。また、彼がこのプロジェクトのために改作した、フィルムの中で朗読されている詩についても話してくれました。記事の最後には、スペシャルムービーもあるのでお見逃しなく!
Q.あなたはフラメンコ・カタルシスのフォースであり原動力でもあります。今回のプロジェクトついて教えてください。
フラメンコ・カタルシスはコンテンポラリーな探求やクリエイティブなコラボレーションなどをルールを設けず、恐れることなく行う創造性に富んだ共有スペースで、フランメンコにフレッシュな息吹をもたらすことを目的としています。
ステージやレコーディングスタジオを超えて、フラメンコ本来のコンセプトと表現を見つけることを目指しました。フラメンコ・カタルシスは、私自身がフラメンコに対して特別なビジョンを抱いていたからこそ生まれたものですが、歌、ダンス、ギターを通じてそれをどう表現するかというヒントは何もありませんでした。
Q.どのようにして若い世代をフラメンコに巻き込んだのですか?
まずに、彼らの中に飛び込んでみました。フラメンコ・カタルシスには様々な設定での複数のフォーマットがあります。若い世代が多くの時間を過ごすデジタルの世界も、その設定に含むことが重要でした。
そうやって、関係性を築き彼らが僕たちの話に耳を傾けてくれるようになると、フラメンコを魅力的にすることができるのです。彼らにしてみればフラメンコはいまだにおじいさんの世代の時代遅れの芸術かもしれません。しかし、もし興味をそそるような物語を聞かせ、力強い芸術性を伝えれば、フラメンコもそのアーティストたちも次第に彼らのSpotifyのプレイリストやSNS のフォローリスト、もしくは寝室のポスターにさえ登場するようになるでしょう。
子どもたちの馴染みのあるものを通じて魅力的に見せることで、現代の観点からフラメンコをフィルターし彼らをフラメンコの世界の入り口へと誘う。これがフラメンコ・カタルシスの思想です。
Q. フラメンコのテクニックに関する資料がほとんどないというのは本当ですか?
「ほとんどない」かは分からないのですが、十分でないことは確かです。
歌、踊り、そして代表的な小道具としてのギター演奏など、フラメンコの全分野を学び、研究し、文字に起こす必要があります。しかし資料として残すことは、ほんの数十年前まで重大なこととして認識されていませんでした。フラメンコに200年の歴史がある事を考えると、あまりにも遅すぎます。
その理由? おそらくフラメンコの起源が謎めいていること、スラムから生まれた音楽という決めつけられたイメージがあること、そしてフラメンコをインスピレーションや宗教に属する唯一のものとする昔の空想的な考え方が混ざり合っているのかもしれません。「哲学者も説明できないミステリアスなパワー」などと詩人たちはよく言ったものですが、私にもよく分かりません。
ダンサーには明らかに才能の差はあります。しかし、真のフラメンコアーティストは最近、より崇高なパワーを持った人よりも学生たちと距離がより近いように思います。実際に、フラメンコは世界で最も権威ある音楽大学のバークリー音楽大学でも教えられています。
Q.フラメンコを取り巻く一番の誤った認識は何だと思いますか?
典型的な誤解を挙げてみましょう。このいくつかは現代でもいまだにまことしやかに伝えられています。例えば、フラメンコはジプシー特有の文化で、芸術的に昇華できるのは彼らだけ、というものがあります。フラメンコの天才的なギタリスト、パコ・デ・ルシアの音楽を聴いたことがない人がいるのでしょうか。
また、フラメンコを音楽的に貧しいものだとする考え方も挙げられます。学者たちがフラメンコの音楽的な豊かさを認めるようになって以来、フラメンコは他のどのスタイルにもひけをとらない知的なものとみなされるようになり、アーティストたちは世界中の音楽の殿堂とされる場所で演じるようになりました。ストラヴィンスキーをご存知ですか? 彼はフラメンコを「伝統音楽のジャンルの中で最も教養あるもの」と認めていたそうです。
それから、純粋という概念の誤り。フラメンコは異なるヘリテージの様々な寄せ集めから生まれ、外部の芸術的要素を絶え間なく取り入れながらその歴史を紡ぎ、そしてそれをオーセンティックなものへと再変換してきました。だから、「純粋なフラメンコ」という言葉自体が矛盾をはらんでいるのです。
まだあります。伝統的なフラメンコを現代的なフラメンコより上位に置く社会的傾向がある。どちらも必要なものなのです。伝統的なフラメンコはその起源を、現代的なフラメンコはその行く先を私たちに教えてくれるのです。
最後はとても個人的な意見ですが、フラメンコはスペイン語で歌われねばならないというのも大きな誤解だと思います。フランスのラップはアメリカのラップと同じくらい素晴らしいでしょう?
Q.あなたの写真からはエネルギーがはっきりと伝わってきます。フラメンコとそのエネルギーはお互いにどのように作用しているのでしょうか?
フラメンコは主としてエネルギーです。時にそれは、体で表現することや静寂を通じて解き放たれます。長い沈黙でさえとても大きなエネルギーを持ちます。そのため、今回の撮影では、子どもたちの動きと静寂その両方を捉えることに決めたのです。体を使って並外れたパワーを発散する姿を捉えた写真もあれば彼らのまなざしにフォーカスしたものもあります。
アドリアン・カタラン(Adrián Catalán)の写真が大好きです。彼のポートレート写真の被写体は、ただカメラの前に立ってこちらを見つめているだけではありません。その視線からは彼らの心の躍動を感じられるのです。
Q.フラメンコの芸術性は衣装や伝統的なドレス無しでも成り立ちますか?
幸いなことにその答えはイエスです。子どもたちを見てみてください。フラメンコの伝統衣装を彼らが着たら、今よりもっとフラメンコになると思いますか? 絶対にそうではないと思います。ステラ マッカートニーの服は他のどんな衣装にも負けないくらいフラメンコらしくなり得ます。フラメンコは、アティチュードや人々の動き、身にまとったものをどのように使うのかといったことが重要なのです。
もちろん、伝統的なコスチュームはきれいだと思います。そして、フラメンコ衣装を将来に向けて守っていくために着る必要もあると思います。でも、私は自分の経験からこうも言いたいと思います。今まで私が最も感動したフラメンコの踊り手たちの中に伝統的な衣装を着た人はひとりもいなかったですね。
Q.今回のコンテンツストーリーを教えてください。出演者はどのように見つけたのですか?
出演する子どもたちが俳優でもモデルでもなく、ダンサーでなければいけないと考えていました。そこでマンソンの仲間たちが、昨年ミュージックビデオを提供したスペイン人歌手ロザリアに最近のバルセロナのフラメンコシーンで注目の人の名前を教えてくれるよう、声をかけたのです。そうして教えられたのが、マヌエラという名前とYouTubeのホームビデオでした。そのビデオを見てすぐに心を奪われ、マヌエラを出演者に迎えることを決めたのです。
フラメンコスクールが一同に会するショーが年末に開催され、そこではマヌエラを含むたくさんの子供たちが踊っていました。そこで、才能あるアレシア、ローラ、アレックスに出会いグループが完成しました。
子どもたちは知り合いで、カメラからも感じられるほどの強いつながりを持っていたので、撮影はとてもリラックスしたムードで進みました。チーム全員にとってとても素敵な経験でした。中でも、日中に見せた子どもたちのあどけない無邪気さが、夕暮れ時のダンスシーンでパワフルな存在へと変化していく姿は特に感動的でした。
Q.映像に合わせて詩が朗読されますが、言葉の裏にあるインスピレーションについて教えていただけますか。
スペインの詩人フェデリコ・ガルシーア・ロルカの1922年2月の講義「El Cante Jondo: Primitivo Cante Andaluz」をアレンジして創った詩です。
ロルカが歴史上最も偉大なスペインの詩人のひとりであることは疑いようがありませんし、フラメンコの精神を体現した第一人者でもあります。彼自身とその代表的な詩は、過去一世紀に渡り、フラメンコの素晴らしいインスピレーションソースのひとつであり続けています。もっとも素晴らしいインスピレーションソースと言ってもいいかもしれない。彼が目にし、見出したフラメンコは、深く豊かな、詩的な色を帯びています。彼が抱くアンダルシアのイメージ、そしてフラメンコの世界観は、直観的な要素とそれまで秘密めいていた要素にスポットを当てた、彼独特のものです。
Q.フラメンコ・カタルシスの今後について教えてください。
今回初めてとなったステラ マッカートニーとのコラボレーションの後は、フラメンコ・カタルシスは印刷媒体での展開を計画しています。長年コラボレーションしているジョルディも私も、雑誌媒体に情熱を持っています。雑誌というメディアは、フラメンコに対する新しい視点を伝えるには理想的だと考えているのです。
現代的、折衷主義的な視点と誠実なエディトリアル デザインで制作されたフラメンコ・カタルシスの雑誌版は、擬古主義と型にはまった考え方とは無縁のものになるでしょう。尊敬するに足る言葉を読み、フラメンコの芸術と文化に関する計算されたビジュアルを見る、ひとつのステージです。
この出版の後にもう一つ出版物を予定していますが、形態については検討中です。どんなものになるのか私も楽しみです。
〈“フラメンコ・カタルシス ” ムービー〉