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02 意識と無意識のあいだ
グラフィックデザイナーの長嶋りかこさんが、妊娠して日々変化する体から、今まで見えなかったことに日々出会い、新陳代謝していく景色を綴るエッセイ。 7か月に入り、お腹はパンパン。わたしのお腹と子の成長曲線はかなりの右肩上がりらしく、誰に会っても、見知らぬ人にさえも、「そろそろ出産間近ですか?」と言われる今日この頃。呼吸はまるでお相撲さん状態、ちょっと動くとすぐにハアハア言っております。 重い、眠い、そんな昨今の、とある休日。その日は家の掃除をしたくらいで、あー疲れたとベッドにごろごろ寝転がりながら、時間があるときに読みたいと思っていた美術と写真の変遷の本をのんびり読みはじめた。先人たちの表現が、その拡張もしくは反動により様々に更新してきた過程とその歴史が綴られており、しげしげと読む。へーこの表現があったから次のこの作家が生まれたのかー、おー逆にあっちの作家たちの表現は反動的にでてきたのかーなどと、お腹のなかの明らかな胎児の動きをにょろり感じながらも、重い腹を右にし左にして、ごろごろと寝転がりながら読んでいた。脈々と繋がった文脈のもとに更新が続く美術は、現代になるにつれてある種のルールのもとに行われている陣取りゲームのよう。 ゆっくりページをめくりながらこのベッドに横たわるのは、その秩序だった作為的行為を想像している”頭”と、それとはまったくもって無関係な、にょろにょろと混沌たる動きが内部で発生している”腹”。そして無作為な激しいにょろりには度々本をさえぎられるので、このにょろりにより、ふと、その”頭”と”腹”の距離を感じる。それは、天と地の程の、だいぶコントラストのある距離だった。しばらくして、なんだか私は一瞬にして空虚になり、ポイと本を投げ出す。そして本ではなくしげしげと腹を見つめ、感じる動きに、おーいと声をかけポンポンと触る。 精子は自ら進んで歩み、卵は自らそれを受け入れ、そこから自然に、自ずと芽生え、育ち産まれてくるものの不思議が自分の体内にあるという事件。自分が生きていることも含めて、生命は水や空気のように、あるようでないような、透明な当然のこととされ日常が過ぎて行くけれど、この事件を腹に抱えていると、そんな当然なことなんて、ほんとうは何ひとつないのだと感じる。